奉天派への大敗と国民政府への帰順とは? わかりやすく解説

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奉天派への大敗と国民政府への帰順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 16:28 UTC 版)

靳雲鶚」の記事における「奉天派への大敗と国民政府への帰順」の解説

その翌日2月8日安国軍(中国語版大元帥張作霖呉佩孚武漢奪還できないことにしびれを切らし、「援呉」を名目として河南省進出宣言韓麟春張学良率い第3・4方面軍、および張宗昌率いる直聯軍が迫りつつあった。 10日呉佩孚鄭州にて緊急軍事会議開き張作霖と戦うか否か議論していた。参加者賀国光連携派と王為蔚ら徹底抗戦派に二分され、会議紛糾していた。靳雲鶚は高汝の第14師を鄭州派遣し張作霖と戦うよう呉佩孚迫った呉佩孚靳雲鶚全軍指揮任せ張作霖と戦う事を決意する12日15日とも)、靳雲鶚は王為蔚・秦徳純自身直属部隊のほか魏益三直隷派の残軍・米振標の毅軍を集めて河南保衛軍を設立総司令として一時自立する。しかし、米振標・郭振才らは相次いで離反表明27日、直聯軍は中牟到達し鄭州迫りつつあった。3月1日新鄭にて会議開き魏益三副司令、呉佩孚の残軍を16個軍に再編し、田維勤・王為蔚らを軍長とする事とした。この時、馮玉祥とも既に内通している。15日呉佩孚鄭州脱出し洛陽へ逃れていった。靳雲鶚魏益三・田維勤と開封防衛徹するが、17日鄭州奪われ許昌へと撤退20日、高汝の第14師が鄭州奪還する。高汝4日渡って攻防戦繰り広げ25日の朝に装甲車3両を率いて決死隊組み鄭州南郊にて安国軍の装甲車交戦砲兵平射砲撃破され壮絶な最期遂げたその間22日開封も直聯軍の孫殿英奪われた。靳雲鶚4月3日より14日まで3度にわたり信陽奪還試みるが失敗その頃武漢国民政府4月12日河南省への北伐決定18日馮玉祥率い第2集団軍が進軍開始した。また20日郾城にて武漢国民政府より派遣された于徳(中国語版)を主席とする慰労河南軍民代表団慰問を受ける。 5月1日には省南東部の上蔡県に追い詰められ于珍率い安国第10軍包囲されてしまうが、張発奎率い国民革命軍第1集団軍第4方面軍第1縦隊劉鎮華率い第2集団東路軍によって上蔡解囲された。第4方面軍左路軍(第3縦隊)に再編され劉興率い中路軍(第2縦隊とともに北上両軍は更に進軍続け河南省から安国軍を駆逐6月10日行われた鄭州会議中国語版)の結果河南省第2集団総司令馮玉祥管轄となり、11日靳雲鶚第2集団第2方面軍総指揮任命され隷下部隊秦徳純の1個軍に縮編された。ところが9月4日、再び呉佩孚擁立謀ったとして、馮玉祥より解任通達され後任には靳雲鶚部下だった馬吉弟が任ぜられた。8日郾城にて独立宣言し挙兵方振武第3集団軍の一部参加した北部許昌に兵を進め第2集団主力交戦する11日南大石橋の戦い経て許昌から撤退し臨潁県逃れた。しかし、孫良誠率い第2集団第1方面軍郾城制圧、また南からも孫連仲率い第2集団軍第9方面軍西平県制圧した14日馮玉祥総攻撃命じ郾城許昌臨潁新鄭にて激戦繰り広げられた。北上し開封へと兵を進め15日尉氏県確保。しかし韓復榘鄭金声石友三撃破され、18日安徽省逃れる靳雲鶚蔣介石頼ってその下に逃れる。まもなく南京国民政府軍事参議院上将参議任命された。1930年民国19年)に中原大戦勃発する河南宣撫使兼任同年間もなく引退実業界転じ済南庭園貸し出し営んでいた。 1935年民国24年10月23日北平北京)で死去享年55

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