奉天派に属す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 05:07 UTC 版)
1917年(民国6年)、朱慶瀾が広東省長を辞職すると、姜登選もやはり辞職する。その後、北京に召還されて、姜は総統府咨議に任じられた。1922年(民国11年)、姜は奉天軍総参議として、奉天派の張作霖に帰属する。同年4月の第1次奉直戦争で奉天派は敗北した。しかし姜自身は、工兵を率いて防衛線を建造し、奉天軍の退却を支援した。これにより張作霖の評価を受けた姜は、奉軍訓練総監、東三省陸軍整理処副統監等に任命される。姜は奉軍の建て直し、精鋭化に従事した。 1924年(民国13年)の第2次奉直戦争では、姜は鎮威軍第1軍軍長に任命され、活躍した。しかしこの過程で、同僚の郭松齢と対立が発生している。ただ、姜も郭同様に、軍縮・民力休養の考えは有していた。そのため張作霖や段祺瑞にその旨を進言したことがあるが、受け入れられなかった。
※この「奉天派に属す」の解説は、「姜登選」の解説の一部です。
「奉天派に属す」を含む「姜登選」の記事については、「姜登選」の概要を参照ください。
- 奉天派に属すのページへのリンク