奉天特務機関長・貴志弥次郎のサポートとは? わかりやすく解説

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奉天特務機関長・貴志弥次郎のサポート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 11:42 UTC 版)

吉薗周蔵」の記事における「奉天特務機関長・貴志弥次郎のサポート」の解説

大正9年1920年5月上原指令により中国渡り大連で「満州東亜煙草」の権利者となる設立の手続き行った後、奉天に移る。奉天での主な任務は、奉天特務機関となった貴志弥次郎民間立場から支援するというものであったこれまで貴志面識のあった周貴志会えるのを楽しみにしていたが、奉天来て貴志立場悪いことを知る。 貴志張作霖との懇親為に派遣されており、資金作り最中にある張作霖への協力任務1つであった具体的に張作霖皇帝溥儀から奪った美術品(古陶磁器)を、軍資金として調達するための売却工作である。上原方針売却先は紀州徳川家決まっていたが、資金事情の為商談延び延びになっていた。更には当初大陸浪人の上恭輔利権握った満鉄大連本社窯業研究課に、関東軍浜面又助参謀長どっぷり漬かりこんで張作霖宝物の倣造品造り行っていた。上田説明を受けながら見張作霖宝物日本では見た事のない見事なものであったが、倣造品もまた本物見分けつかない見事な出来であった紀州徳川家売却する指令受けていた貴志は、この倣造品が後々問題になるのではないか危惧していたのである。 これに対処するため、周張作霖宝物実物見せてもらい、実物絵図書き付ける事とする全て書き写す事は出来なかったが、時間の許す限り書き写したは、「自分こういうことをしたるという事が、ある種威嚇となるを願うだけの犬の遠吠えである」と手記残している。 同年8月奉天を発つ際に、張作霖から手元使っている箸立て、壺、硯の水入れ贈られるその後朝鮮寄って太白山罌粟の種を入手する事にしていた周は、平壌から北上して清川江沿って上流目指し太白山脈沿って釜山まで南下する途中平安南道价川罌粟畑を視察その後原因不明の病が発症し高熱でほとんど意識のない中、日本に帰国。後に周の妻となる池田巻のアイヌ看病お陰で一命取り留めた

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