奈良のシカの範囲と天然記念物指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 06:33 UTC 版)
「奈良の鹿」の記事における「奈良のシカの範囲と天然記念物指定」の解説
1957年(昭和32年)9月の天然記念物指定は、春日大社が所有者として「天然記念物指定申請書」を、奈良市長と市観光協会会長は「要望書」を提出して主導し、県・市教育委員会は「副申書」を書いた。春日大社と奈良市は、農業被害補償特定のためと指摘されるが、具体的な指定範囲と面積を記入していたが、現実の指定は「奈良市一円」だった。県は、その地域から出たシカが保護されなくなるという弊害防止のためと言い、文化庁は、「『奈良のシカ』とは、主に春日大社境内、奈良公園及びその周辺に生息し、古来、神鹿として春日大社と密接にかかわり、人によく馴れている等の…シカという意味である。その生息する場所(地域)を特定して制限を加えたものではない。また、『奈良のシカ』は分類学上、本州に広く生息しているホンシュウジカであり、『奈良のシカ』という特別の『種』が存在するわけではない」としている。また、地域指定のためには、当該地域の全ての地権者の同意が必要だが、困難で実現できてないため、という理由もある。文化財保護委員会の規定では、「奈良公園及びその周辺に生息している人馴れしたシカ」となるが、範囲指定のない天然記念物指定は多くの問題や論議となる。 1981年(昭和56年)2月、奈良市民2人が、高円山頂上付近の山林で、角伐り跡のある鹿1頭を銃殺し、奈良地方検察庁が文化財保護法違反で起訴した。1983年(昭和58年)6月の判決で「奈良のシカ」を生息範囲は「公園を中心に周辺、直線距離で数キロ以内」で、公園に棲む「公園ジカ」だけでなく、通常は周辺山中に棲むが公園ジカとも交流のある「山ジカ」も存在し、いずれも人に馴化する特性を示す鹿が天然記念物の「奈良のシカ」だ」と規定し認定の上で有罪としたが、まだ曖昧で、角切り跡などの"馴化の証明"が無い場合に、今後に再論議となるとの指摘もあった。 だが、これも1979年(昭和54年)4月、1981年(昭和56年)9月の二次にわたる鹿害訴訟の和解で変更された。農家側は、天然記念物の指定で捕獲できないのだから、「地域指定」に変更を要望したが、それは退けたが1985年(昭和60年)2月和解で、「シカの捕獲に関する文化財保護法第80条の運用の基準等」が制定され、鹿の生息域を、平坦部を中心とする奈良公園(A)、春日山原始林など公園山林部(B)、その双方の周辺地域(C)、その他地域(D)の4つに区分した。A・B地区のシカは保護するが、農地のあるC・D地区では天然記念物であっても、一定のルールの下、C・D地区のシカは捕獲(駆除を含む)ができるとした。さらに、A・B・C地区のシカには、同指導基準等が適用され、この地区のシカは、文化財保護委員会の規定や判例の旧来の人馴れ基準に関係なく全ての鹿が、保護管理される対象となる天然記念物だとされ、D地区は従来のまま公園周辺に生息する人馴れした鹿が対象である。 自動車が鹿と衝突する交通事故が起きた場合、天然記念物であるため、処罰されると誤解して運転手が通報せず走り去るひき逃げも多いが、意図しない衝突は処罰の対象にならない。
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