失われつつある「電気街」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:50 UTC 版)
「でんでんタウン」の記事における「失われつつある「電気街」」の解説
大阪市内では2001年、千日前にビックカメラ(なんば店)が、同じ年に梅田(大阪駅前)にヨドバシカメラ(ヨドバシ梅田)が進出したことに加え、大阪近郊でもロードサイドの大型家電量販店(コジマ・ヤマダ電機など)が進出していった。これにより、日本橋に来る人の流れが堰止められてしまったとの見方が強い。ミナミの玄関口である南海難波駅に近接しながら、繁華街の中心となる道頓堀(ちなみに日本橋という地名の由来である、橋梁としての日本橋は道頓堀川に掛かっている)や、地下鉄難波駅および、近畿日本鉄道・阪神電気鉄道の大阪難波駅とは反対方向に位置しており、南側は新世界にも隣接しているとはいえ、堺筋が日本橋3南交差点以北において北行きの一方通行であるなど車でのアクセスに難があることもあり、一般的な家電を求める客足は次第に梅田・千日前方面に遠のいていった。このため、主に近畿資本の家電量販店やパソコンショップ等、当地に複数店舗を展開していた企業では店舗の整理統合が進み、数を減らしていく。 2003年9月にマツヤデンキが、続いて2005年1月にはニノミヤが相次いで経営破綻。中川無線電機(中川ムセン)も雑貨中心の量販店ナカヌキヤに業態転換したが、最終的に日本橋からは撤退した。上新電機は未だ当地に複数の店舗を展開するも、店舗数は最盛期の半分程度に減少し、現存する店舗もその多くを家電製品以外の各種専門店(おもちゃ、CD・DVD等)に業態転換している。家電に次いで日本橋の顔となっていたパソコン販売店も2005年にスタンバイが廃業、2006年にはOAシステムプラザが撤退、ソフマップも日本橋地区の店舗を集約。また、前述のニノミヤは2007年6月に日本橋本店を閉鎖し、法人も解散した。マツヤデンキは2003年に経営破綻したあと、日本橋から一時期撤退し、その後小規模な携帯電話専門店で再進出したがこちらも2009年には撤退している。この時期、でんでんタウン協栄会では年2回であった一斉セールを一時月1回に増やすなど巻き返しを狙った。 2006年3月10日には、でんでんタウンの近くにあるなんばパークス南側にヤマダ電機の都市型大型店舗の第一号店である『LABI1 なんば』が、2019年6月7日には、南海難波駅近くの旧大阪市立精華小学校の跡地にエディオンなんば本店がそれぞれオープンした。これらの出店により、日本橋電気街から半径数百メートルの範囲内で、大型家電量販店であるLABI1なんば、ビックカメラなんば店、エディオンなんば本店、以前からある上新電機、その他の中小家電量販店が競合している。 2013年8月20日には、「来た・見た・買うた(末期は「買った」へと変更)の喜多商店」のキャッチコピーで知られていた老舗家電店である喜多商店が予告なく閉店した。
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