天然ガス動車キハ42200形
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「国鉄キハ07形気動車」の記事における「天然ガス動車キハ42200形」の解説
戦後まで残存していたキハ42000形およびキハ42500形の一部は、戦後の輸送量の急増と、燃料統制によるガソリン配給量半減への対応のため、1950年に天然ガス動車(キハ42200形)に改造された。これらが使用された千葉地区では、木原線で戦時中からの41000形ガスカー運行事例や、九十九里鉄道でのガスカー採用事例などもあって、1949年以降、房総東線の乗客による主要線区でのガスカー運行運動が盛んになっており、ガソリン供給事情の逼迫も伴って、ガスカー導入拡大を真剣に検討せざるを得ない事態となっていた。 まず1950年4月に新小岩工場で改造された9両が、天然ガスを産出する千葉県内の久留里線、房総東線、房総西線、木原線、東金線で使用開始され、同様に天然ガスを産出した新潟近郊の越後線、弥彦線、信越本線(新津 - 新潟、直江津 - 新井)、磐越西線(馬下 - 新津)にも投入されることになり、長野工場で11両が改造された。同年10月には、千葉地区用に2両が増備され、計22両が天然ガス動車となった。 GMF17エンジンにはガソリン用気化器に代わって、ガスエンジン仕様とするためのガス調整器が装備された。床下には40Lガスボンベ24個が設置され、その搭載スペースを捻出するため、ラジエータが運転台下の台車前方・車端部側に移設されていることで、外見からもガスカーと判別できた。 列車混雑に悩まされていた沿線利用者からは「ガスカー」によるフリークエントサービスは歓迎されたが、燃料の天然ガス価格が極端に高価であること(1951年時点で1kmあたりの走行コストを比較すると、ディーゼル動車(軽油燃料)1円65銭、ガソリン動車6円91銭であるのに比し、天然ガス動車は11円70銭であった)、ガス充填作業に時間や手間が掛かること、出力の小ささ(正規のガソリン燃料使用時の約8割強に低下)や、機関の老朽化、爆発の危険性など、天然ガス動車運行に伴う障害は多く、運行する支社や現場は苦慮せざるを得なかった。それでもしばらく天然ガス動車の運行が継続されたのは、天然ガス自体は地元で産出するため安定供給が可能であり、沿線からの気動車運行ニーズも非常に高かったことによる。 燃料統制が1952年に解除され、安価な軽油の入手が容易になったことなどから、同年中には機関をディーゼル機関に載せ換え、キハ42500形(2代目)に再改造されて天然ガス動車は消滅した。しかし、もと天然ガス動車の42500形にはディーゼル化後もラジエータ位置が運転台下のまま存置されたものもあり、出自を判別できた。 改造前後の新旧番号対照は、次のとおりである。 42011 > 42200 42012 > 42201 42023 > 42202 42026 > 42203 42031 > 42204 42032 > 42205 42034 > 42206 42036 > 42207 42001 > 42208 42002 > 42209 42005 > 42210 42009 > 42211 42016 > 42212 42027 > 42213 42033 > 42214 42048 > 42215 42049 > 42216 42050 > 42217 42051 > 42218 42053 > 42219 42500 > 42220 42501 > 42221
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