大牧 (さいたま市)
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■大牧 | |
---|---|
![]() 大牧自然緑地 | |
北緯35度52分37.3秒 東経139度42分02.67秒 / 北緯35.877028度 東経139.7007417度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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区 | 緑区 |
地域 |
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人口 | |
• 合計 | 2,366人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
336-0922[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
大牧(おおまき)は、埼玉県さいたま市緑区の大字。郵便番号は336-0922[2]。
隣接している大間木は「おおまぎ」と読む。
地理
さいたま市緑区中部の大宮台地(浦和大宮支台)上[4]や芝川周辺の沖積平野に位置する。大小5か所に飛び地があり、大きいほうは見沼代用水西縁に架かる国道463号の浅間橋の対角に位置し、蓮見新田を挟んだ南側の飛地とともに見沼田んぼとなっている。小さいほうは浦和大間木郵便局の東側と、東浦和駅付近の見沼代用水西縁および見沼通船堀周辺の2か所に位置する。東浦和駅周辺は境界線が大間木などと複雑に入り組んでいた[5][6]が、一部が地番変更の実施により大宮台地側の大半が東浦和となり、見沼田んぼ側が飛び地となった。西側は宅地化が進んでおり、見沼田んぼの側は人家はなく、一部が芝川第一調節池となっている。
縄文前期の梅所遺跡や、縄文期・弥生後期の大北遺跡や、弥生後期 - 古墳時代前期の和田遺跡が地区内に所在する[4][5]。
地価
住宅地の地価は、2018年(平成30年)1月1日の公示地価によれば、大字大牧字梅所1470-6の地点で13万1000円/m2となっている[7]。
小字
- 葭場耕地[4]
- 中割
- 梅所
- 第六天神
- 女鉢下
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡木崎領に属する大牧村、古くは南北朝期より見出せる足立郡芝郷のうちの大牧村であった[4]。地名の由来は定かではないが、古代の牧場に因むものとされている[4]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では431石余(田135石余、畑296町余)、『天保郷帳』では508石余であった[4]。助郷は中山道浦和宿に出役していた[4]。村の規模は東西12町余、南北18町余で、化政期の戸数は16軒であった[4]。
- 発足時は幕府領、1698年(元禄11年)より一部が旗本中山氏の知行地となり[4]、幕府領と旗本領が混在する。飛地が村の西方および大間木村の内に存在した[4]。なお、検地は1690年(元禄3年)および享保年間に実施。
- 1728年(享保13年) - 見沼代用水が開削される。
- 1805年(文化2年) - 当村に属していた蓮見新田が中尾村(現・中尾)に属するようになる[4]。
- 幕末時点では足立郡大牧村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[8]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1872年(明治5年)7月 - 地内の清泰院を仮用して大牧学校(現・さいたま市立尾間木小学校)が開校する[9]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1882年(明治15年) - 大牧学校が大間木に移転する。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に平行して大牧、中尾、大間木、井沼方、下山口新田、蓮見新田4箇村2新田が合併し、尾間木村が成立[10]。尾間木村の大字大牧となる[4]。
- 1940年(昭和15年)4月17日 - 尾間木村は同郡三室村と共に浦和市へ編入され[4][11]、浦和市の大字となる。
- 1967年(昭和42年) - 地内に浦和明の星女子高等学校(現・浦和明の星女子中学校・高等学校)が開校する。
- 1968年(昭和43年) - 地内の大牧770番地に明の星女子短期大学(2003年9月30日廃止)が開学する。
- 1979年(昭和54年) - 芝川第一調節池の造成に着手する。
- 1982年(昭和57年)4月1日 - 地内に浦和市立大牧小学校(現・さいたま市立大牧小学校)が開校する。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市が、与野市、大宮市と合併しさいたま市となり、さいたま市の大字となる。
- 2002年(平成14年)12月7日 - 東浦和第一土地区画整理事業の換地処分が完了し、大字大牧の一部が東浦和の一部となり成立する[12]。これにより清泰院のほか、大牧小学校や浦和明の星女子高等学校などが立地地区から外れる[13]。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行しさいたま市緑区の大字となる[12]。
世帯数と人口
2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大牧 | 1,022世帯 | 2,366人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[14]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
346 - 359番地 | さいたま市立尾間木小学校 | さいたま市立尾間木中学校 |
1336 - 1352番地 | さいたま市立東浦和中学校 | |
1216 - 1272番地 1309番地3 1310番地2・3・5 1353 - 1513番地 |
さいたま市立大牧小学校 | |
その他 | さいたま市立尾間木中学校 |
交通
鉄道
道路
- 国道463号
- 埼玉県道・東京都道103号吉場安行東京線 - 飛地にてかすめる
施設
脚注
- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月4日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 181-182頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』916頁。
- ^ 『わがまち浦和』91頁。
- ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査.2019年1月31日閲覧。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ 学校沿革史 - さいたま市立尾間木小学校.2020年1月15日閲覧。
- ^ 『わがまち浦和』 巻末付録(頁番号なし)。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ a b “さいたま市 区政概要(平成26年度版)” (PDF). さいたま市. pp. 5-6 (2014年8月). 2019年1月6日閲覧。
- ^ 『県別ユニオン 埼玉県 シティング道路地図』国際地学協会、1997年7月、14,22頁頁。ISBN 4-7718-2462-2。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ 『でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、76,87頁頁。ISBN 978-4-398-60135-3。
- ^ “公開型緑地のご紹介”. さいたま市役所 (2018年12月10日). 2019年1月31日閲覧。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。全国書誌番号:83024476、NCID BN10203371。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
外部リンク
- さいたま市地図情報 - さいたま市
- さいたま市緑区ガイドマップ - さいたま市
- 大牧_(さいたま市)のページへのリンク