大改修からボールパークエリア構想へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:59 UTC 版)
「阪神甲子園球場」の記事における「大改修からボールパークエリア構想へ」の解説
その後はナイター施設の新設や座席、スコアボードの改修がなされていった。特に1976年からは数年かけて座席の更新が行われている。またグラウンドの大きさの見直しもあり、1991年にはラッキーゾーンを撤去した。このように当時の基準に合わせる改良が幾度も行われたが、最新の球場に比べて施設の老朽化や陳腐化は避けられず、また建物の耐用年数を考慮すると、いつかは建て替え、もしくは全面的な改修をしなければならないことは明白だった。そのため1990年代初頭には阪神電鉄首脳がドーム球場化を念頭において、アメリカの主要ドーム球場を視察して回った。当初は赤字だった阪神パークを閉鎖して、その跡地と周辺地を加えた用地(阪神パークの用地だけでは不足で、周りの用地買収が必要だったため)にドーム球場を建設する計画で進められ、実際に1993年には「(同年秋に開始する)西梅田再開発事業が終了する10年後を目処にドーム球場の建設を始めることを検討している」という報道がされていた。 1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生。それによりスタンドの一部に亀裂や崩落が発生、基礎部分の検査が行われたが問題はなく、同年の選抜大会開幕を前に亀裂や崩落箇所のみの補修が行なわれた。住民感情に配慮して大会の中止も検討されたが、予定通り開催された。しかし、この地震の被害やバブルの崩壊の余波などの影響から、阪神電鉄はドーム建設事業計画を見直すこととなり、阪神パーク跡地でのドーム建設計画は正式発表されることなく白紙撤回された(2004年にららぽーとを誘致)。その後改めて球場本体の構造強度の検査結果を踏まえ、工期をシーズンオフ3期に分割し、基礎部分のみを残しての大規模改修をすることとなった。2004年7月には「西大阪線延伸事業が一段落する2008年のシーズンオフを目途に着工し、2010年以降の完成を目指す」という構想の概要が報道されたが、正式発表は2005年11月、着工は2007年秋からとなり、2010年春には全体の工事が完了した(詳細は後述)。 その後も断続的に周辺環境の整備は進められ、甲子園駅のリニューアルが完了した2017年頃 - 2020年にかけて駅前広場から球場までのアプローチを大幅に整備。旧申川の土手や松の並木など廃川前の名残りはほぼ完全に撤去され、グッズショップなどの商業施設や円形広場、バスターミナルが整備された。さらに、2021年には甲子園筋に面するレフト側球場外周のフェンスの一部を撤去、2022年には球場南側に別館兼商業施設の「甲子園プラス」が開業するなど、「ボールパークエリア構想」の下で球場敷地と周辺環境との一体化が進められている。
※この「大改修からボールパークエリア構想へ」の解説は、「阪神甲子園球場」の解説の一部です。
「大改修からボールパークエリア構想へ」を含む「阪神甲子園球場」の記事については、「阪神甲子園球場」の概要を参照ください。
- 大改修からボールパークエリア構想へのページへのリンク