大学卒業〜就職・再学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 01:57 UTC 版)
「ステファン・ヒーレンバーグ」の記事における「大学卒業〜就職・再学」の解説
ヒレンバーグは大学卒業後、1984年にユタ州のパークサービスの案内人やサンフランシスコでのアートディレクターなど、様々な仕事をしてから、自分の希望の職を見つける。そして、海岸の国立公園で働きたいと考え、最終的にカリフォルニア州デイナポイントにある海洋科学と海洋史(英語版)などを専門とする組織であるオレンジ郡海洋研究所(英語版)(Orange County Marine Institute、現・海洋研究所)に就職する。ヒーレンバーグは、そこで3年間海洋生物学の教師だった。そこでは次のように語っている「タイドプールなどの生態学、航海史、多様性、適応(英語版)などを教えました。そこで働いて、子供たちが海底の生物、特にタイドプールの生物に夢中になっているのを見ました」。彼はデイナポイントマリーナに滞在し、スタッフアーティストでもあった。これは彼にとって「とても良い経験」だったが、この期間中、ヒーレンバーグは自分が選んだ職業よりも、芸術に興味があることに気付く。 そこで働く間、教育者の一人が、タイドプールでの動物の生活(英語版)に関する教育漫画の制作に興味があるかどうか尋ねた。彼は『The Intertidal Zone』という漫画を制作し、それを使い生徒へ教えた。その本の登場人物は、擬人化された海の生物であることが特徴で、その多くはスポンジ・ボブのキャラクターとして登場する。初期のスポンジ・ボブは、実際の海綿動物に似た外見であり、主にキッチンなどで使用する一般的なスポンジに似た、後のスポンジ・ボブのキャラクターとは対照的になっている。ヒーレンバーグはこの漫画を出版しようとしたが、彼が訪ねた出版社は断った。 この期間中、ヒーレンバーグは国際アニメーショントーナメント(英語版)やスパイクとマイクのアニメーションフェスティバル(英語版)、そしてカリフォルニア芸術大学の学生が製作した映画が上映されるアニメーションフェスティバルなどに参加し始める。彼は、この分野でのキャリアを追求したいと決心する。ヒーレンバーグは芸術の修士号を取得する予定だったが、代わりに絵を描くために学校に戻り、1987年にアニメーターになるため辞職する。 ヒーレンバーグは、1989年にカリフォルニア芸術大学の実験アニメーションプログラム(英: Experimental Animation Program)に登録する。この決断について、彼は次のように述べた。「そのような職業を変えることは怖かったですが、皮肉なことに、アニメーションという分野は今のところとても健全な仕事で、科学の教育はこれ以上に大変だと思います。」 彼は、このプログラムの創設者であるジュール・エンゲル(英語版)の下で学び、エンゲルを「芸術の父」であり指導者だと考えていた。エンゲルは、彼を『The Intertidal Zone』に感銘を受けたプログラムに受け入れる。そこでヒレンバーグは、「エンゲルも画家だったので、彼は私の絵を見て、『ああ、この男はこのプログラムにぴったりだ』と言うことが簡単に出来たと思います。私にはアニメーションの経験がなかったからです。」と話した。ヒーレンバーグは1992年に卒業し、実験アニメーションの修士号を取得する。
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