大学卒業から米国留学までとは? わかりやすく解説

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大学卒業から米国留学まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:10 UTC 版)

河合隼雄」の記事における「大学卒業から米国留学まで」の解説

旧制神戸工業専門学校経て1952年京都大学理学部数学科卒業京都大学大学院に籍を置き、心理学学びつつ数学高校教諭として3年勤務学生時代には、雅雄がジークムント・フロイトの「夢判断」を読んで、「すごいショックを受け、夜眠れなかった」と言うと、「そうか?ショックなんか受けなかった。こんな面白い本はないと思うな」と答えた河合ロールシャッハテストから徐々に心理学入っていき、ロールシャッハ彼の心理学土台を築く上で大きな役割果たしている。河合は約1000人にロールシャッハ施行した河合は、当時カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) の教授であり投影法精通していたブルーノ・クロッパーロールシャッハに関する本を読んだ際、間違い思われる個所を見つけ、手紙質問した。すると丁寧な返事来て河合指摘正しく河合初めてそれを指摘した記されていた。この手紙を契機二人の関係始まり、後の河合留学先にも影響与えた。 英語で努力積み重ねた後、1959年フルブライト奨学生としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) へ留学しクロッパーJ・M・シュピーゲルマンの指導受けた米国ではロールシャッハに関して教授から大きな信頼得た留学期間が切れた後も助手として採用され引き続き滞在ネイティブアメリカンについての共同研究行った河合第二次世界大戦での敗北経験しており、西欧流の合理主義傾倒していた。しかし、河合米国合理的な社会制度思想触れ自分日本人としてのアイデンティティについて深く考えさせられたという。 クロッパーはかつてドイツ在住していたが、ナチス迫害逃れて米国へ亡命したユダヤ系であったヨーロッパ精神医学心理学精通しユング研究所1年間滞在した経験のあった彼は、河合米国学位を取るよりも本場のスイスチューリッヒユング心理学修める方がよいと判断し河合スイスへの留学勧めたこの際河合のために推薦書書き河合ユング研究所から奨学金支給されることとなった

※この「大学卒業から米国留学まで」の解説は、「河合隼雄」の解説の一部です。
「大学卒業から米国留学まで」を含む「河合隼雄」の記事については、「河合隼雄」の概要を参照ください。

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