大垣日大監督時代
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2004年8月30日に請われて新天地・大垣日大の監督への就任が発表される。(2004年秋時点では顧問、2005年4月より正式に監督就任)。当初は東邦とのレベルの違いに戸惑いを覚えることもあったが、全国制覇の要因となった「脱・鬼監督」路線をさらに進めるなどして選手のハートを掴み(選手と一緒に温泉に行ったりした)、そして東邦時代からの持ち味である守備を重視した指導により2007年、第79回選抜高等学校野球大会に希望枠で初出場。決勝で、前年秋の東海大会準決勝で敗れている常葉菊川にまたも敗れて準優勝に終わるが、ベンチの前で四股を踏んだり、試合中バントがうまくいかない選手に対し「笑え!」とサインを出したり(その選手は直後に2点タイムリーを放つ)、試合に勝った後の宿舎で飛行機が飛ぶ真似をして喜んだりという脱・鬼監督パフォーマンスが「阪口劇場」の異名を取るなど、“仏の阪口”と呼ばれるようになった阪口の新たな一面が注目された。しかし、当然のことながら厳しい練習では鬼を捨てず、魂の入っていないプレーに対しては容赦なく怒り続けた。続く第89回全国高等学校野球選手権大会にも初出場を決め、準々決勝まで進んだ。ベスト4をかけた準々決勝で秋、春に続いて常葉菊川に敗れてしまった。 2009年秋季東海大会にて同校としては初優勝を果たし、監督として初の明治神宮野球大会への出場を決め、優勝した。翌2010年の明治神宮大会でもベスト4入りし迎えた第83回選抜高等学校野球大会では東北大震災で被災した東北高校との対戦が決まり複雑な胸中を見せるも東北高校の練習時にボールを贈り健闘を誓い合い、全力プレーの相手には全力プレーが礼儀という姿勢で試合を行った。なお試合は7-0で大垣日大が勝利している。 2014年の選手権の初戦となった藤代高校戦では初回に8点を先制される立ち上がりとなるも徐々に点差を詰めて行き、12-10で勝利した。インタビューでは「もう涙がふき出るぐらい感激しています。(自身)30回目の甲子園で、野球人として最高の思い出ができて幸せ」と大逆転を振り返った。 2020年、「2020夏季岐阜県高等学校野球大会」(独自大会)で優勝し、その後行われた「2020年岐阜県・三重県高等学校野球交流試合」でいなべ総合学園を破る。 2022年、第94回選抜高等学校野球大会への出場を勝ち取る。出場校選考の目安となる2021年秋の東海地区大会では、4強(同大会準優勝は、静岡県の聖隷クリストファー)。阪口自身、出場枠2の東海地区から選出されるとは、思っていなかったようで「(選抜は)100%頭になかった。夢のよう。こんなことがあるのか」とコメントした。実際、東海地区から東海大会の上位2校が選出されないのは、44年ぶりのことであり、阪口の驚きも無理からぬものであると推察される。また、1回戦では只見高校を退け、昭和・平成・令和の3元号での甲子園勝利を達成。なお3元号での甲子園勝利監督は史上初である。
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