大垣新田藩成立と畠村陣屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/04 13:43 UTC 版)
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間宮氏は1590年(天正18年)の徳川家康の関東転封とともに移動したが、関ヶ原の戦い以降は再び畠村一帯の5か村を支配していた。その後1619年(元和5年)、大垣藩主戸田氏鉄の次男・氏経が旗本として間宮氏の知行地を領有した。間宮氏と戸田氏は縁戚関係にあったことから、領主交代時にもともと間宮氏の居館があったところにそのまま戸田氏が入った可能性が高く、陣屋跡からはその可能性をうかがわせる遺物も出土している。 この旗本・戸田氏は本藩である大垣藩からの所領の分封などにより1万石の所領を得て大名に昇格し、1688年(貞享5年)に大垣新田藩となった。畠村陣屋は渥美郡の畠・古田・向山・亀山・伊川津・日出の6か村と三河国額田郡の樫山・牧平・細野・光久・滝尻の5か村を支配する藩庁となった。 明治維新後の1869年(明治2年)に藩庁が美濃国大野郡の野村(現在の岐阜県大野郡大野町上秋)に移転したことから出張所となり、1871年(明治4年)に廃止となった。
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