大型化と汎用性の要求 (1890年代-1910年代)
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「駆逐艦」の記事における「大型化と汎用性の要求 (1890年代-1910年代)」の解説
水雷艇を大型化・高速化して登場したのが駆逐艦であったが、その駆逐艦もまた、兵装の強化と航洋性の向上を目指して順次に大型化され、上記の「ハヴォック」が240トンであったのに対して、1900年前後には400~600トン級の艦が多く現れていた。そして駆逐艦の航洋性の向上に新たな局面を拓いたのが船首楼の増設であり、1901年にドイツ帝国海軍が竣工させた新型駆逐艦(大型水雷艇)であるS90が船首楼を備えて良好な航洋性を得たと報じられ、この情報を得たイギリス海軍も、1904年竣工のE級で船首楼を付した。 またこの頃には、従来の駆逐艦で用いられていたレシプロ蒸気機関が性能的な限界に近づいていたことから、蒸気タービンの導入が進められ、イギリス海軍は1899年進水「ヴァイパー」および「コブラ」にパーソンズ直結タービンを搭載して、「ヴァイパー」は公試で36.869ノットを記録した。イギリス海軍では、ドレッドノート級戦艦と高速駆逐艦による艦隊編成を構想して、1905年度計画では、戦艦に随伴しうる航洋性を備えた駆逐艦として蒸気タービンを備えたトライバル級(F級)(最大1,090トン)の建造に着手するとともに、飛躍的に大型化した「スウィフト」(常備2,170トン)を建造した。ただし「スウィフト」では、原型になったE級の約3倍まで建造費が高騰したことから、同型艦の建造は行われなかった。 イギリス駆逐艦はあくまで来襲水雷艦艇の撃破を第一としていたことから、兵装の面では艦砲を重視しており、魚雷はその次とされていた。これに対し、ドイツ駆逐艦は逆に艦砲よりも魚雷装備を重視しており、水雷襲撃の際の被発見性を低減するために艦影も低く抑えられていた。しかしその後、魚雷の性能向上に伴って、主力艦自身の速射砲で敵駆逐艦を撃退することは困難になり、駆逐艦の護衛がつけられるようになったことから、雷撃のまえにこの護衛艦を排除する必要が生じた。このこともあり、第一次世界大戦の戦訓では、イギリス駆逐艦の強力な砲力は敵護衛艦艇の排除に役立ち、水雷襲撃の成功にも寄与するとされた。戦中には、ドイツも15センチ砲を搭載した2,000トン級の大型駆逐艦の建造に着手したものの、終戦までに2隻(S-113・V-116)が竣工したのみであった。 第一次世界大戦は艦隊型駆逐艦の完成度を更に高めたが、同時に駆逐艦の用途を著しく拡張した。ドイツ帝国海軍の無制限潜水艦作戦に対抗するために水中聴音機や爆雷を備えて対潜戦に対応し、また機雷敷設・掃海機能を備えて機雷戦にも対応した。このように、小型のうえに高速で適当な兵装を持つ駆逐艦は、近代的な海上戦に付随して生起する様々な局面にも柔軟に対応できたことから、主力艦の護衛と水雷襲撃という固有の任務に加えて、高度の汎用性が要求されるようになった。 独海軍のS90。船首楼を備えて航洋性を向上させた。 英海軍の「スウィフト」。飛躍的に大型化した。 旧独海軍のS-113。大口径砲を備えた。
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