多摩田園都市開発から営業所廃止まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:18 UTC 版)
「東急バス川崎営業所」の記事における「多摩田園都市開発から営業所廃止まで」の解説
1950年代には多摩田園都市の建設事業が開始され、川崎市では野川・宮前地区において急速な人口増加が始まった。当時は東急田園都市線の開通前であり、人口定着を図るため、主に武蔵小杉駅・溝の口駅を起点としてこれらの地区に向かうバス路線が先行的に新設されていった。 東急バスの武蔵小杉のターミナルは、当初は東横線工業都市駅(1939年(昭和14年)開業)にあった。その後、1945年(昭和20年)に東横線武蔵小杉駅が開業。戦後、国鉄武蔵小杉駅前広場の整備に伴い、1959年(昭和34年)12月に小杉駅前へ移り、発着路線のルート変更が行われた。なお、工業都市駅は1953年(昭和28年)に武蔵小杉駅へ統合される形で廃止されている。 「工業都市駅」、「武蔵小杉駅#歴史」、および「多摩田園都市開発年表」も参照 高度経済成長期に東京・横浜都心のベッドタウンとして神奈川県内の人口が急増した中で、県内には1962年(昭和37年)4月1日に日吉営業所(現:東山田営業所)、同年10月20日に高津営業所が相次いで開設された。これにより、所管路線のうち日吉駅・綱島駅を起点に横浜市内を運行する9路線が日吉営業所へ、主に溝の口から郊外へ向かう7路線が高津営業所に移管され、川崎営業所の規模はほぼ2010年の廃止時の状態となった。 「東急バス東山田営業所」も参照 その後も周辺営業所との所管路線調整が何度か行われており、2006年(平成18年)3月には横浜市営バス43系統受け入れのため、玉突きによる路線移管が実施された。野川線と久末線を委託路線の受け持ち営業所である[要説明]高津営業所に分離する(統合により野川久末線となる)一方、新城線を新羽営業所より受け入れたものである。なおこのとき、43系統自体は青葉台営業所から虹が丘営業所へ移管されており、虹が丘営業所からは空港リムジンバスが新羽営業所へ移管されている。 詳細は「東急バス虹が丘営業所#空港・ディズニーリゾート路線」および「東急バス高津営業所#野川久末線」を参照 1986年10月には川崎駅東口再開発事業により、東口駅前広場の整備が完了。地下街「川崎アゼリア」が開業し、川崎駅東口バスターミナルが供用開始された。これに伴い川崎駅東口発着路線のバス乗り場が変更された。 2007年4月1日には川崎駅西口再開発事業により、ラゾーナ川崎前の西口北バスターミナルが供用開始された。それまで東急バスの川崎駅発着路線は全て東口から発着していたが、この際に全て西口北バスターミナル発着に変更された(2018年4月1日より停留所名を「川崎駅ラゾーナ広場」に改称)。これにより、東急バスは川崎区から完全に撤退した。 「東急バス高津営業所#川崎線」および「東急バス荏原営業所#五反田線」も参照 2008年(平成20年)5月28日、川崎営業所管内の全路線でPASMOが導入された。 川崎営業所は全路線を他の営業所に移管した上で、2010年(平成22年)9月30日をもって営業を終了した。翌10月1日より停留所名を「小杉折返所」に変更、営業所跡地は折返所として、川32・鷺02系統(一部)などの路線の始発・終着機能を維持していた。 翌2011年(平成23年)7月1日には折返所の使用を終了し、停留所名は「小杉御殿町二丁目」へ再改称された。営業所跡地には、コスモスイニシアと阪急不動産による分譲マンション建設が進められ、7階建ての「ジオ・イニシア武蔵小杉」が2012年(平成24年)9月に竣工した。
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