在家信者死亡事件
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1988年9月22日、静岡県富士宮市の富士山総本部道場2階において『百日修行』と称する『立位礼拝』の修行中に、在家信者Mが突如大声を上げ騒ぎ道場内を走り回るなどの錯乱状態となる。その場に居合わせた岡﨑が、Mの奇行を村井秀夫を通して麻原に報告したところ頭部に水を掛けて冷やすよう指示される。医師と元自衛官の出家信者2人が指示通り道場1階女子用浴室において、Mの頭部に水を掛け、その顔面を浴槽の水に浸けるなどしたが、そのうちMが脱力状態となり意識不明に陥った。驚いた2人が岡﨑、村井、新實智光、早川紀代秀らに知らせ、Mにまだ脈が残っていたことから隣の広い男子用浴室に移し、岡﨑、村井、岐部哲也が交代で人工呼吸を施すなど救命処置を行った。駆け付けた麻原も自己のエネルギー注入と称する儀式を行うが、Mは意識が戻ることなくそのまま死亡した。 当時、教団は国内外に支部を設立、富士山総本部には道場を建設し教団の組織拡大を図っていた。また、教団の宗教法人化に向け、東京都知事に対し教団規則の認証を申請するための事前準備の折衝を東京都との間で行っていた。Mの件が表沙汰になれば、組織拡大および宗教法人化に打撃を被ると考えた麻原は、松本知子や石井久子、村井、早川、岡﨑らに対し「このことを届け出るか。しかし、せっかく教団の勢いの出ている時だし、公になれば救済計画も大幅に遅れるなあ。ここはどうだろうか、内々に処理した方がいいのじゃないか」と述べ、Mの遺体の処理に関し意見を求めた。これに対し松本知子は「分からないでできるならば、その方がいい」と消極的ながら同意し、石井は「絶対に公表しない方がいい」と積極的な意見を述べた。その後、関わった者たちが集められ、同様に意見を求められたが、麻原に異を唱える者はいなかった。 麻原は、Mの遺体を他の出家信者に見つからないように『護摩壇』で焼却することを指示。村井、早川、岡﨑らは、翌朝、道場南側敷地内に耐火煉瓦を積み護摩壇を造った上で、Mの遺体をステンレス製ドラム缶内に入れ、Tらに道場1階から運ばせた。これを護摩壇上部に据え付け後、その下部付近に薪を積み、麻原の指示により岡﨑が点火し二昼夜かけて焼却した。遺体の焼却には、麻原と石井も立ち会った。この際、麻原は「いよいよヴァジラヤーナを実践せよ、というシヴァ神の示唆だな」と呟いたという。燃え残ったMの遺骨は麻原の命令で、道場1階において、村井、早川、岡﨑らが金槌で叩いて砕き、更に石井ら古参女性幹部がすり鉢ですり潰した上で、早川と岡﨑が山梨県西八代郡上九一色村内の精進湖に捨てた。 当時は末端の弟子から大師まで1日16時間、五体投地の極限修行を続けている最中だった。この事件には、わかっているだけで20数名の信者が関わった。
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