国文学研究資料館の沿革とは? わかりやすく解説

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国文学研究資料館の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 23:56 UTC 版)

国文学研究資料館」の記事における「国文学研究資料館の沿革」の解説

1966年 - 日本学術会議国語国文学研究資料センター設置政府勧告1970年 - 学術審議会国文学研究資料センターの緊急設置を文部大臣報告1972年5月 - 文部省史料館敷地内国立国文学研究資料館創設。「国立国文学研究資料館史料館」(それぞれ通称国文学研究資料館」・「国立史料館」)と称した2003年 - 国立総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻設立大学院後期課程学生受け入れ開始2004年 - 大学共同利用機関法人として人間文化研究機構設立。「国立国文学研究資料館史料館」から「大学共同利用機関法人人間文化研究機構国文学研究資料館」(日本文学部門歴史部門)となる。法人化に伴い館内組織改組2007年10月 - 移転に伴い資料利用サービス休止2008年3月 - 東京都立川市移転2008年4月 - 資料利用サービス再開1972年設立以来史料館建物同一敷地内存在し併せて国文学研究資料館史料館」と称した事実上国文学研究資料館文部省史料館組み入れたになっていたものの、国文学研究資料館史料館設置根拠法令異なり機関としては別であった史料館国文学研究資料館建物渡り廊下繋がっていたが、閲覧室二つ分かれていた。書庫分かれていたため史資料管理統合されずに別個に行われ同一書籍両方所蔵(つまり同一書籍館内重複して所蔵)するなどしていた。研究者所属事務それぞれに分かれていた。2004年法人化の際に研究者所属事務統合されたものの、史資料管理閲覧室引き続き分かれたままであった立川市移転機に日本文学部門歴史部門統合され所蔵史資料再編された。歴史部門アーカイブズ研究系となり、文学資源研究系文学形成研究系複合領域研究系アーカイブズ研究系の4研究系体制となる。 戸越では大半図書閉架であったが、立川では開架図書大幅に増やされた。 2009年5月 - 建物の西半分南側国立極地研究所入居2009年10月 - 建物の西半分北側統計数理研究所入居大会議室一部施設は両研究所共用2010年4月 - 法人化後に再編され文学資源研究系文学形成研究系複合領域研究系アーカイブズ研究系の4研究系一本化し研究部となる。文部省史料館由来し、いわば館の後身に当たるアーカイブズ研究系名称として消滅したこのため歴史学会からは旧史料館以来蓄積されてきた歴史資料利用およびそれに関する研究発信への懸念もたらされている。 2018年7月 - 多摩信用金庫包括連携協定

※この「国文学研究資料館の沿革」の解説は、「国文学研究資料館」の解説の一部です。
「国文学研究資料館の沿革」を含む「国文学研究資料館」の記事については、「国文学研究資料館」の概要を参照ください。

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