国文学研究資料館の沿革
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「国文学研究資料館」の記事における「国文学研究資料館の沿革」の解説
1966年 - 日本学術会議が国語・国文学研究資料センターの設置を政府に勧告。 1970年 - 学術審議会が国文学研究資料センターの緊急設置を文部大臣に報告。 1972年5月 - 文部省史料館の敷地内に国立国文学研究資料館創設。「国立国文学研究資料館史料館」(それぞれ通称「国文学研究資料館」・「国立史料館」)と称した。 2003年 - 国立総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻設立。大学院後期課程学生受け入れ開始。 2004年 - 大学共同利用機関法人として人間文化研究機構設立。「国立国文学研究資料館史料館」から「大学共同利用機関法人人間文化研究機構国文学研究資料館」(日本文学部門・歴史部門)となる。法人化に伴い館内組織を改組。 2007年10月 - 移転に伴い資料利用サービス休止。 2008年3月 - 東京都立川市に移転。 2008年4月 - 資料利用サービス再開。1972年の設立以来、史料館の建物と同一敷地内に存在し、併せて「国文学研究資料館史料館」と称した。事実上国文学研究資料館が文部省史料館を組み入れた形になっていたものの、国文学研究資料館と史料館は設置の根拠法令が異なり、機関としては別であった。史料館と国文学研究資料館の建物は渡り廊下で繋がっていたが、閲覧室は二つに分かれていた。書庫も分かれていたため史資料管理も統合されずに別個に行われ、同一の書籍を両方で所蔵(つまり同一の書籍を館内で重複して所蔵)するなどしていた。研究者の所属や事務もそれぞれに分かれていた。2004年の法人化の際に研究者の所属と事務は統合されたものの、史資料管理や閲覧室は引き続き分かれたままであった。立川市移転を機に日本文学部門・歴史部門は統合され、所蔵史資料も再編された。歴史部門はアーカイブズ研究系となり、文学資源研究系、文学形成研究系、複合領域研究系、アーカイブズ研究系の4研究系体制となる。 戸越では大半の図書が閉架であったが、立川では開架図書が大幅に増やされた。 2009年5月 - 建物の西半分南側に国立極地研究所が入居。 2009年10月 - 建物の西半分北側に統計数理研究所が入居。大会議室等一部の施設は両研究所と共用。 2010年4月 - 法人化後に再編された文学資源研究系、文学形成研究系、複合領域研究系、アーカイブズ研究系の4研究系を一本化し研究部となる。文部省史料館に由来し、いわば館の後身に当たるアーカイブズ研究系は名称としては消滅した。このため、歴史系学会からは旧史料館以来蓄積されてきた歴史資料の利用およびそれに関する研究発信への懸念がもたらされている。 2018年7月 - 多摩信用金庫と包括連携協定。
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