国文学学会に与えた影響
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『源氏物語』の解釈として定説になっていた光源氏の須磨への引退は、《「朧月夜尚侍との関係の露見」と「藤壺中宮との密通による自責の念》であるということに対し、「宿世の因縁」と「もののけ」が主原因とした。テキストを正確に読むという手法を尊重し、現代の倫理観で全て処理するというのではなく、『源氏物語』制作時代の思想を先に解明するという多屋博士独特の研究法が高く評価された。昭和15年3月の「源氏物語の宗教思想」は文部省の「精神科学研究奨励金」交付に対する報告論文である。また、浮舟に対する僧都の消息文の解釈についても独自の見解を述べ、源氏物語研究者に論争を巻き起こした。もう少し詳しく記すと、僧都の消息の「もとの御契りあやまち給はで、愛執の罪をはるかし聞え給ひて」の部分は還俗を勧める「もとのごとく契て愛執の罪をはらせ」という『湖月抄』などの古注を踏襲するのではなく、浮舟に仏を信じ尼の道を誤ることなく精進しなさいという新解釈である。そもそも手紙は当人同士が趣旨を取り違えなければ用が足ることで、第三者が見ても意味不明に記すものであるから、消息のみで研究者が解釈しようとするのは無理である。この新解釈に対し、玉上琢也博士から反対論が出され、しばらくの間互いに論争があった。多屋説は多屋源氏として注目されたが、賛成する研究者は少なく、また、博士の説を踏襲する弟子もいない(しかし、現実には多屋説によると明記はしていないが、「愛執の罪」「宿世の因縁」のキーワードを新説の如く記述している出版物が10余りあるのも事実である)。「和讃」論に対しては学会は好意的で、反論する研究者はいなく、多くの論文に引用されている。
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