図書館からの撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 10:14 UTC 版)
ドイツ国総統アドルフ・ヒトラーが総統地下壕で自殺した翌日の1945年5月1日朝、ベルリン「Z」地区(官庁街)防衛司令官ヴィルヘルム・モーンケSS少将と「ノルトラント」師団長グスタフ・クルケンベルクSS少将が現在の状況と今後の作戦について電話連絡を取っている間、官庁街の図書館に陣取るアンリ・フネのフランスSS突撃大隊は久しぶりに戦闘の無い平穏な朝を迎えた。 しかし、この日の午前中、第4中隊長代行セルジュ・プロトポポフ武装連隊付士官候補生が(図書館の中庭で敵迫撃砲の攻撃を受けて)死亡したとの知らせが大隊長フネに伝えられた。現場に駆けつけたフネはプロトポポフの遺体から軍隊手帳 (Soldbuch) を回収し、認識票 (Erkennungsmarke) の半分を折り取り、そして敬礼をした。祖父(ロシア帝国最後の内務大臣アレクサンドル・プロトポポフ)をボルシェヴィキ(共産主義者)によって殺害された、この「古きロシア最後の代表」セルジュ・プロトポポフは戦死するまでにベルリン市街戦で赤軍戦車5輌撃破・赤軍砲兵観測機1機撃墜という戦果を挙げていた(一級鉄十字章追贈)。「プリンス」プロトポポフの簡潔な葬儀を済ませた後、フネは戦闘に戻った。 5月1日午後、フランスSS突撃大隊の状況は次第に悪化していた。武装親衛隊フランス人義勇兵たちが4月30日以来陣取っている大きな建物(図書館)は赤軍の砲撃によって壁が崩れ、各階の床板が道路側に垂れ下がった。赤軍の火炎放射班はこの床板を絶好の着火材として狙いを定め、建物への火炎放射攻撃を開始した。 戦前はパリの消防士であったフランスSS突撃大隊本部通信手ジョルジュ・クーテュラン(Georges Couturin:階級不明)は陣頭で消火活動に臨んだが、一滴も消火用の水が無い上に赤軍からの銃撃が浴びせられている状況ではどうすることもできなかった。このままでは30分後(長くても1時間後)に建物の上階から地下に至るまで火の手が及ぶことを(すすで全身が黒くなっている状態の)クーテュランから伝えられた大隊長フネは、大隊全体が赤軍の火炎放射で焼却される前に後退命令を下した。
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