哲学部への転部とは? わかりやすく解説

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哲学部への転部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:40 UTC 版)

マルティン・ハイデッガー」の記事における「哲学部への転部」の解説

1911年1月デンマーク作家ヨハネス・ヨルゲンセン(Johannes Jørgensen)の『旅行記 光と暗い自然と精神書評執筆した1911年2月勉学のしすぎによる喘息性の神経性心臓障害により静養する。エーリナー奨学金司祭就職になるという契約であったので、ハイデッガー神学勉強中断したため打ち切られる。静養中にヨーゼフ・ガイガーの著作を読む。1911年5月にはオットー・ツィンマーマン『神の必要』の書評執筆したハイデッガー友人ラズロウスキーに数学哲学神学3つの道について相談している。フライブルク大学神学者で『カトリックドイツのための文学展望』誌編集者ヨーゼフ・ザウアーには「論理学についての最近諸研究発表ハイデッガー申し出て1912年3月17日ザウアー宛書簡ではこの論考は「数学的論理学多岐にわたる探求着手するための支点」であり、「空間時間の問題数学的物理学定位することで暫定的解決」に近づくと書かれている1911年/1912年冬学期にはハイデッガー数学・自然科学部に在籍し数学、物理学化学、アルトゥール・シュナイダーのキリスト教哲学西南ドイツ学派新カント派)のリッケルト哲学講義受講し1912年学期からは400マルク奨学金給付された。のちにハイデッガー学位論文主査をするアルトゥール・シュナイダー(Artur Schneider,1876 - 1945)はアルベルトゥス・マグヌスにおけるアリストテレスアウグスティヌス要素研究した哲学者であり、またカトリック保守派1912年著書一元論世界観哲学的基礎』では唯物論社会民主主義批判し、のちには国家社会主義教師連盟(Nationalsozialistischer Lehrerbund)や国家社会主義公共福祉(NSV)に参加したリッケルト副査教授資格論文では主査となったまた、ハイデッガーリッケルト高弟エミール・ラスク(Emil Lask,1875 - 1915年戦死)にも影響を受け、ラスク1911年刊行した著作哲学論理学範疇学』について「存在者と妥当するものによって、思考可能なもののすべてを包括する時論うちたてようとしたラスク試みは、カント超越論的論理学継承発展」と評価しフッサール範疇論範疇直観取り入れられていると評価している。またラスク1912年刊行した判断論』も労作であるとハイデッガー評価している。 1912年ハイデッガーは「現代哲学における実在問題」をゲーレス協会哲学年報発表する5月には「宗教心理学下部意識」を執筆。同5月ベネディクト会修道士J・グレート1989年著作アリストテレストマス哲学綱要』の書評書いている。夏学期トラークルの詩を読む。「論理学に関する最近諸研究」を発表

※この「哲学部への転部」の解説は、「マルティン・ハイデッガー」の解説の一部です。
「哲学部への転部」を含む「マルティン・ハイデッガー」の記事については、「マルティン・ハイデッガー」の概要を参照ください。

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