呪いの内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 15:47 UTC 版)
1986年に「呪い」と言われ始めたがそれ以前から呪われていたとされている。 1946年のワールドシリーズに、ルースのトレード後初めて出場し、セントルイス・カージナルスと接戦を繰り広げた。セントルイスのスポーツマンズ・パークで行われた第7試合、3対3で迎えた8回裏、カージナルスは一塁走者にイーノス・スローターを置いていたが、ここで打席に立ったハリー・ウォーカーがヒットエンドランを試み、左中間への短い当たりで二塁打となった。スローターは監督の指示で三塁に走っており、遊撃手ジョニー・ペスキーによる本塁への返球前に生還してレッドソックスを下した。ペスキーは送球に躊躇したとみられ、結果としてスローターの生還に繋がったが、ペスキー自身は躊躇を否定している。映像ではペスキーが明るい場所、スローターが影の部分にいたこと以外判明しない。レッドソックスのスター選手テッド・ウィリアムズは自身唯一のワールドシリーズの機会であったが、怪我のため貢献できなかった。 1948年、クリーブランド・インディアンスとリーグ優勝をかけて、リーグ唯一のプレイオフである1948年のアメリカンリーグ優勝決定プレイオフが行われて敗退した。 1949年、レッドソックスがペナント優勝するには残り2試合中1勝するのみとなった。しかしこの2試合ともヤンキースと対戦して敗退し、これによりワールドシリーズに進んだヤンキースは以降1949年のワールドシリーズから1953年のワールドシリーズまで5年連続優勝となった。 1967年、リーグ優勝して前年の汚名を返上した。1967年のワールドシリーズで1946年同様カージナルスと対戦して第7試合までもつれこんだ。カージナルスの好投手ボブ・ギブソンがレッドソックスのエースであるジム・ロンボーグより優勢で、7対2でレッドソックスは敗退した。この試合でギブソンはロンボーグからホームランを奪っている。 1972年、0.5試合差でデトロイト・タイガースにディヴィジョン・タイトルを奪われた。13日間ストライキが行われ、いくつかのチームが9試合少なくなった。さらに1試合で雨天中止となり振替もなかった。残り2試合となった時、ルイス・アパリシオが三塁に滑り込んだが4対1で敗退した。 1975年、レッドソックスはペナントで勝利し、1975年のワールドシリーズにおいてビッグレッドマシンと呼ばれるシンシナティ・レッズと対戦した。第6試合で捕手カールトン・フィスクによるサヨナラゲームで勝利し、第7試合に進んだ。レッドソックスは3対0でリードしていたが、5回表にレッズが3点を返し同点となった。9回表、レッズがジョー・モーガンの一塁打でケン・グリフィー・シニアが得点し、レッドソックスは敗退した。ワールドシリーズ史上最高の試合の1つとされている。 1978年7月18日、アメリカンリーグ東地区でヤンキースに14試合差で勝っていた。しかしヤンキースに調子が出てきて、フェンウェイ・パークで4連勝したヤンキースは最終的に9月10日にはレッドソックスと共に首位となり、このことはレッドソックスのファンからは「ボストン大虐殺」と呼ばれるようになった。6日後、ヤンキースはレッドソックスより3.5試合リードしたが、レッドソックスは次の14試合で12勝し、10月2日、フェンウェイ・パークにてプレイオフが行われた。7回、単打の多いヤンキースの遊撃手バッキー・デントがスリーラン・ホームランを放ち、レフトのグリーン・モンスターの上にあたり球場の外に飛び出して3対2でヤンキースが優勢となった。最終的に5対4でヤンキースが勝利し、1978年のワールドシリーズに勝ち進んだ。 1986年のワールドシリーズの3勝2敗で迎えた第6試合、10回表で5対3でレッドソックスが優勢だった。レッドソックスのリリーフ投手カルヴィン・シラルディは打者2人をアウトにし、あと1アウトでワールドシリーズ優勝となるはずであった。しかしメッツはこの場面で三者連続ヒットを放ち、さらにレッドソックスのボブ・スタンリーが暴投、最後にメッツのムーキー・ウィルソンのゴロをレッドソックスの一塁手ビル・バックナーがトンネルエラーし、レイ・ナイトは二塁から得点に繋げ、メッツの勝利となった。第7試合、前半3対0でレッドソックスが優勢となったが、5対8で敗退した。最後2試合の敗退についてはニューヨーク・タイムズ紙の記者ジョージ・ヴェッシーが詳細に記している。 1988年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズと1990年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズにおいて、レッドソックスはリーグ決勝戦に進み、どちらもオークランド・アスレチックスと対戦して0勝4敗で敗退した。1995年のアメリカンリーグディビジョンシリーズでクリーブランド・インディアンスに0勝3敗で敗退し、1998年のアメリカンリーグディビジョンシリーズでもインディアンスに1勝3敗で敗退し、1999年のアメリカンリーグディビジョンシリーズではヤンキースに1勝4敗で敗退した。 2003年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズでヤンキースと対戦し、第7試合までもつれ込んだ。8回表、レッドソックスは5対2で優位に立ち、グレイディ・リトル監督は先発投手ペドロ・マルティネスに連投させた。ヤンキースは疲労しているマルティネスに反撃し、一塁打スリーラン、二塁打3回取った。11回裏、アーロン・ブーンはリリーフとして登場したナックルボールの先発投手ティム・ウェイクフィールドからサヨナラホームランを打ち、ヤンキースが優勝した。
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