周辺における過去の地震と地質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 08:46 UTC 版)
「福岡県西方沖地震」の記事における「周辺における過去の地震と地質」の解説
福岡県北西沖の海域の地震活動はこれまで低調であり、前例となる地震活動の記録がほとんどなかった。地震以前に刊行された地質学の文献においても、別府島原地溝帯より北側の北部九州は比較的地質が安定しており「たまに小さな地震が起こるくらい」とする記述もみられた。麻生渡福岡県知事(当時)も地震当日に「福岡は大地震がないと言われてきただけに、大きな衝撃だ」と語っている。地震当日に会見を行った気象庁の山本雅博地震津波監視課長(当時)は「非常に珍しいところで起きた」とした一方、「百年単位では大規模地震の発生はなかったが、千年単位では繰り返していたのかもしれない」ともコメントしている。 福岡市や糸島半島付近の陸地を見ても、過去最大の地震は1898年8月の糸島地震(M6.0, M5.8)、次いで1929年8月の博多湾付近の地震(M5.1)、1930年2月の雷山付近の地震(M5.0)が知られているのみで、古文書によるものを含めてもM7級の地震は前例がなく、福岡市および糸島半島付近では有史以来最大の地震となった。またこの地震で、震度の記録が整備された1926年以降、福岡県内と佐賀県内でそれぞれ初めて震度5以上の揺れを観測した。 また、やや範囲を広げて福岡県、佐賀県および長崎県壱岐地方を見ると、1700年の壱岐・対馬付近の地震(M7)や679年筑紫地震(M6.5 - 7.5)などが知られており、この地震は約300年ぶりの規模となった。それでも、北部九州の日本海側(玄界灘沿い)は日本の中でも相対的に地震活動が低く、時としてM7程度の地震が発生するものとされ、同じ北部九州でも豊後水道ではM7.5程度の地震の例があるのとは対照的である。また九州地方で震度6弱以上を観測する地震としては、1997年5月の鹿児島県北西部地震以来となった。 この地震の震源域に既に知られている活断層はなかった。地震後の海底探査などでも、震源域付近の海底に活断層の証拠となる段差は発見されていない。横ずれ断層では段差が生じにくく、さらに海底であることが発見を難しくしていると考えられている。しかし震源域(余震域)から10キロほど北東には、この地震の余震分布と同じ北西-南東方向に延びる長さ数キロの海底活断層が2か所存在することが知られていた。また、福岡県北部には同じく北西-南東方向に延びる活断層が複数あり、福岡市中心部を縦断する警固断層もその1つである。 特にこの地震の余震域はほぼ警固断層の延長線上にあり、地震後にその関連性が調査されることとなった。2007年の地震調査委員会の評価では、この地震の震源域は警固断層そのものではないと断定したが、「警固断層帯」として一括りにし、確率は低いが2つの断層が連動して地震を起こす可能性に含みを持たせている。
※この「周辺における過去の地震と地質」の解説は、「福岡県西方沖地震」の解説の一部です。
「周辺における過去の地震と地質」を含む「福岡県西方沖地震」の記事については、「福岡県西方沖地震」の概要を参照ください。
- 周辺における過去の地震と地質のページへのリンク