名称の由来と伝説
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平安時代の京都に、浅茅という琴の名手がおり、左大臣の子息の通麿という若者に見初められるが、身分の違いで仲は許されず、駆け落ちする。 二人は有馬温泉で幸せに暮らし子供も生まれるが、通麿が病死してしまう。 悲しみに暮れた浅茅は、致し方なく両親の許へ帰るため、赤子を胸に有馬街道を降ったが、蓬莱峡あたりで赤子までもが急死。 全ての希望を失った浅茅はこの山に登り、生者必滅の曲を奏でながら死んでいった。 それから、夜になると山からは悲しげな琴の音が、谷からは赤子の泣き声が聞こえるようになり、人々は山を「琴鳴山」、谷を「赤子谷」と呼ぶようになったという。
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名称の由来と伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 04:48 UTC 版)
ジェニー紡績機の発明に関して言及している文章の多くでは、「ジェニー」と名付けられた由来について、Jennyという名のハーグリーブスの娘(または妻)が糸車を倒してしまったとしている。そのために紡錘が上を向いてしまったが、糸車は問題なく機能した。ハーグリーブスは紡錘が水平になっていたのが特に理由があってのことではないと知り、縦にして複数並べることを思いついたという。 実際には、地元の教会の記録によればハーグリーブスには何人か娘がいたが、Jennyという名の娘はいなかった(妻の名も違う)。もっとそれらしい名称の由来としては、"engine" が訛って "jenny" になったという説がある。 なお、ジェニー紡績機は Thomas Highs が発明したという説もあるが、こちらも名称の由来は妻の名とされている。
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名称の由来と伝説
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甲山の名称の由来は昔大きな松の木が二本生えていて、その兜のような形状から呼称されているという説があるが、田岡香逸によれば、元来、「神の山(コウノヤマまたはカンノヤマ)」だったと考えられている。元亨釈書によれば広田明神との関わりが強く、廣田神社の神奈備山と考えられる。1974年(昭和49年)には銅戈(どうか)が出土し、西宮市立郷土資料館に西宮市指定重要文化財として所蔵されている。この銅戈は祭祀用のものであり、古来、甲山が信仰の対象であったことがわかる。また、甲(コウ)の音が歴史的仮名遣では甲(カフ)と表記する事を踏まえれば、濁音のカブ・・・の音も想像しやすいだろう。甲陽軍鑑(カフヤウグンカン)、など。 また、甲山山麓にある神呪寺にある碑には、禅僧虎関師錬が編纂した元亨釈書の記述に基づき、十四代仲哀天皇の皇后神功皇后が国家平安守護のため山頂に如意宝珠及び兜を埋め、五十三代淳和天皇の勅願により天長8年(831年)10月18日、神呪寺を開創大殿落慶したと伝えている。そのためか甲山のどこかに宝が隠されているという俗説が地元ではあった。 なお明治当初には、神戸に来航した欧米人より「ビスマルク山」という俗名がつけられた。19世紀頃のドイツ帝国の首相であったオットー・フォン・ビスマルクがかぶっていた三角形の帽子に姿が似ていたからだといわれている。
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