名称の由来と武田菱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 04:11 UTC 版)
古く越中側では餓鬼ヶ岳と呼ばれていたことが、1700年(元禄13年)に奥山廻り御用によって作られた『奥山御境目見通絵圖』に記されている。また同じ頃の絵図には「後立山(ごりゅうざん)」という山名も見られ近代登山界でも論争された。「ごりゅう」が「五竜」に通じることから、今日の「五竜岳」であろうとする説が大勢を占めたが、のちにそれが「鹿島槍ヶ岳」であることがほぼ確定した。1908年(明治41年)7月に三枝威之助が初登頂して、「五竜」という当て字を行った。 一方、信州側ではこの地域が戦国時代に武田氏の版図にあり、「菱形」の雪形が武田家の紋章に通じることから、「御菱(ごりょう)」と呼んだ。この「ごりょう」が「ごりゅう」に転訛したという説もある。白馬山麓では「割菱ノ頭」と呼ばれていた。1970年(昭和45年)に第22回読売文学賞の詩歌俳句賞を受賞した野澤節子が、「落日の岳残雪の武田菱」の句を詠んでいる。
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