各編ごとの批評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 08:19 UTC 版)
アニメ評論を手掛けるKotakuのリチャード・アイゼンバイスは、『ソードアート・オンライン』の第1部(アインクラッド編)、第2部(フェアリィ・ダンス編)、第4部(マザーズ・ロザリオ編)でのアスナの描かれ方について、以下のように批評している。第1部では、「仮想世界での恋愛がどのようなものか明確になっている」と述べ、キリトとアスナの恋愛に関するプロットを肯定的に評価している。第2部については、アスナが「捕らわれの姫君」になっているとして、「強い女性キャラクターが、男性の主人公が探しているクエストアイテムでしかないのは悲しいことだ」と批判した。アイゼンバイスは、「第1部ではアスナは強い戦士で、何千人ものプレイヤーからデスゲームを生き残るために信頼されているリーダー格の一人だった。第2部ではアスナは無力で、文字通り鳥かごの中の鳥で、ヒーローに助け出されるのを待っているとき、犯人に虐げられていた。ガンゲイル・オンライン(ファントム・バレット編)でアスナは男を応援する観客に過ぎなかった。キャリバー編でも単なる群像劇の一員だった。」と述べた。第4部が主にアスナ視点で描写されていることについては、「第2部で突然強い女性のリーダー格から捕らわれの姫になってしまったアスナが、もう一度彼女の本領を発揮し、成長していくためにとても良い選択だ」と評価した。また、第4部で描かれたアスナの人物像について、以下のように記している。 アスナは現実世界よりもソードアート・オンラインの仮想空間の方に充実感を覚えていた。仮想空間では2年間、自分の運命を切り開く戦士として、人々を自由への闘いに導いてきた。現実世界の彼女は経営者や政治家が多い名家の跡継ぎで、最高の学校に通い、最高の成績を修め、尊敬される仕事をし、力のある上流社会の男性と結婚することを望まれている。彼女の人生は生まれたときからレールが敷かれており、その中に友達とオンラインゲームで遊んだり、一流ではない学校に通ったり、普通の男の子と恋をしたりといったことは含まれていない。〔中略〕アスナは怖く不寛容な母親と家庭で対立しながら、自分は何者か、何者になりたいのかと苦悩している。 リチャード・アイゼンバイス Kotaku 一方、Japanator.comのカレン・ミードは、フェアリィ・ダンス編のアスナが捕らわれの姫君であるという考えについて、「アスナの場合は、自分の行動が自らを助けている。彼女が監禁場所から脱出して探索を行わなければ、キリトが彼女の居場所に辿り着くために必要なカードを入手することはできなかっただろう。」と述べ、物語の大半で鳥かごの中の鳥になっていたことは認めたものの、捕らわれの姫君には当たらないと反論した。 このほか、日本文学研究者の広瀬正浩は、アインクラッド編に描かれた仮想世界への没入性に関して検討した論考の中で、アスナがキリトから性的な視線を投げかけられて羞恥心を覚えるシーンを取り上げ、ゲーム内の3Dオブジェクトに過ぎないはずのアバターと生身の身体とが同視されている描写として分析している。また、町口哲生は、フェアリィ・ダンス編の作中に登場する「世界樹」に着目し、同編の世界観を北欧神話になぞらえて考察したうえで、神話内で最終戦争後に新たな人類の始祖になったレイヴスラシルとリーヴとを、アスナとキリトに重ねて読むことが可能であるとしている。
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