反論・反響・影響
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「日本共産党の研究」の記事における「反論・反響・影響」の解説
日本共産党は、戦前の特高警察や検察当局の基礎資料をなによりの材料として、当時特高警察がでっちあげた反共キャンペーンを戦後の日本でむしかえしたものとして、立花を「特高史観」と強く批判した。党機関紙『赤旗』に批判論文がたびたび掲載され、パンフレット化・大量普及もされた。共産党からも当時の資料の公表がされた。 1975年12月10日、『赤旗』は「古びた反共理論と反動裁判所資料のむしかえし--文春立花隆氏の『日本共産党の研究』なるものの特徴」を掲載。同月22日までのべ4回連載した。 同月11日、同紙は、宮本顕治「スパイ挑発との闘争」(『月刊読売』1946年3月号初出)を再録。 同月16-18日、同紙は、宮本顕治の公判記録を初めて掲載、発表した。 1976年1月27日、衆議院本会議において春日一幸民社党委員長が代表質問の中でスパイ査問死亡事件を採り上げた。これに対しては同日の本会議で紺野与次郎が、また1月28日の参議院本会議で沓脱タケ子が、1月30日の衆議院予算委員会で不破哲三がそれぞれ反論・批判した。 1976年3月9日発売の総合雑誌『文化評論』1976年4月臨時増刊号、『赤旗』党史班「犬は吠えても歴史は進む――『文芸春秋』立花論文への総批判」を掲載。 小林栄三『歴史の真実に立って――治安維持法・スパイ挑発との闘争』新日本出版社、1976年10月 「赤旗」党史班『犬は吠えても歴史は進む――『文芸春秋』立花論文への総批判』新日本出版社、1977年5月 当時日本共産党中央委員会幹部会副委員長という要職にあり、宮本顕治の右腕といわれていた袴田里見の回顧録『党とともに歩んで』から、小畑達夫・大泉兼蔵リンチの模様を大幅に引用したため、袴田は『赤旗』紙上において自己批判させられ、同書を絶版とさせられ、ついには除名処分を受けた。これに対して袴田は『週刊新潮』誌上において手記を発表、すべてを暴露し、以後激しい「宮本・袴田論争」が起こった。 日本共産党『特高史観と歴史の偽造―立花隆「日本共産党の研究」批判』日本共産党出版局、1978年10月 犬丸義一『「日本共産党の研究」の研究―その歴史と今日的課題』現代史出版会、1980年6月 取材メンバーの中心だった小林峻一と鈴木隆一はこの取材から発展させて『スパイM』(徳間書店、1980年。後に文春文庫化)を共著した。さらに小林は加藤昭との共著で『闇の男―野坂参三の百年』(文藝春秋、1993年。第25回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)を上梓し、これが野坂の除名失脚をもたらした。 2021年6月に立花の死去が発表された際、『しんぶん赤旗』は主要マスメディアより2日遅い6月25日付の紙面に、一切論評のない事実のみの訃報を掲載した。
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