原水協事件とは? わかりやすく解説

原水協事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:23 UTC 版)

原水爆禁止日本協議会」の記事における「原水協事件」の解説

1977年から1984年の間、原水禁世界大会原水禁共同開催されたが、「凍結」(当時用法としては、既存核兵器存続させることだった)政策への支持要求する原水禁との間で対立起きた総評と、反主流派の「統一労働組合懇談会」(全国労働組合総連合前身)の対立が、再分裂引き金になった1983年、平和行進共産党団体が、統一労組懇旗を掲げたことに総評側が反発。旗は自由とする共産党原水協平和委員会統一労組懇側と、準備委員会直接参加した団体の旗に限るとする総評原水禁側の対立発展した1984年の平和行進では、市民団体仲裁で、吉田嘉清原水協代表理事森賢一平和委員会事務局長両名とも共産党員)は統一労組懇旗の自粛受け入れた。しかし、共産党側はこれを「日和見主義」と批判した6月1日迫って事務局長職の辞意表明をさせ、6月9日辞任反対した小笠原三郎会長長谷川正安理事長ともども解任した。さらに、が「森一人だけに通告した党中央秘密指令」を長谷川吉田漏らしたのは「党内問題を党外にもちだした」として、査問掛けた除籍した。 さらに、共産党吉田にも辞任迫り拒否される辞任反対する原水協の代表委員6人を解任、さらに代表委員自体廃止し6月29日理事会開催強行吉田解任し、金子毅を後任据えたこの年原水爆禁止世界大会8月1日から開催されたが、それに先立つ各組織合同運営委員会では、解任され吉田草野信男出席認めかどうか紛糾した8月9日共産党系の日中出版が、吉田内幕取材した原水協何がおこったか、吉田嘉清が語る』(ISBN 978-4817511249)を上梓すると、柳瀬宣久社長社員3名、そして吉田反党行為理由除名したまた、吉田擁護した古在由重除籍となった。こうして、日本共産党意に反する原水協幹部は、ことごとく追放された。 並行して共産党は『赤旗1984年4月4日号・4月5日号「統一路線分裂路線――原水爆禁止運動三〇年の経験教訓」で総評原水禁反共右傾化批判し共闘への批判強めたその上で分裂責任原水禁にあると改め批判したことから、原水禁総評側の反発受けた1985年統一大会向けた話し合いでは、実行委員会委員選出を「十一団体一致できる団体個人」を主張する原水協平和委員会側と、「十一団体推薦する団体個人」を主張する原水禁総評側で平行線たどったこの年統一大会開催されたが、1986年にはついに話し合いまとまらず、再び原水禁世界大会分裂した

※この「原水協事件」の解説は、「原水爆禁止日本協議会」の解説の一部です。
「原水協事件」を含む「原水爆禁止日本協議会」の記事については、「原水爆禁止日本協議会」の概要を参照ください。

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