南発の戦後処理とは? わかりやすく解説

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南発の戦後処理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 09:30 UTC 版)

南方開発金庫」の記事における「南発の戦後処理」の解説

1945年8月15日日本敗戦で、南方占領終了した軍政下におかれていた南方地域のうち、平和裏降伏したジャワマラヤにおいては極力発券回収しようと、現地軍が軍と日本事業者手持ち物資高値売却するよう命じた。南発から借りている事業者現地軍は、南発からの借入金回収した発券返済したジャワでは同年8月17日インドネシア共和国独立宣言した連合国主力部隊同月下旬到着した28日第16軍連合軍降伏文書受領した連合国当初インドネシア独立承認する意向示していたが、しかしオランダ植民地支配継続しようとしてインドネシア独立戦争起きてしまった。ジャワ上陸した連合軍英軍中心であったが、英軍ジャワにおける当座市中現金持ち込まなかったので、南発券流通そのまま認めた英軍ジャワ占領すると、その必要とする現金を南発から調達した。その調達額は1945年12月14日現在でおよそ5億ギルダー達した。この南発券英軍軍のジャワにおける軍用もしくは統治通貨として利用された。ジャワ日系銀行では横浜正金銀行ジャカルタ支店だけが営業していた。日系企業銀行借入金の返済急いだが、他方で南発は新規融資にも応じた(南発命令融資)。スマトラ島でも南発券流通そのまま認められた。そして連合軍300ギルダー供給した。さらに南発スマトラ金庫手持ち未発行券まで連合国側引き渡したジャワの南発スラバヤ出張所1945年10月インドネシア政府強制清算させた。預金大口だけでも台湾銀行スラバヤ支店500ギルダー正金スラバヤ支店300ギルダー払い戻された。これと別に4億ギルダー支払インドネシアへ財政貢献として命じられた。 マラヤはジャワ・スマトラと反対に、あっさりとした結末迎えた1945年9月5日英軍上陸し即日モラトリアム施行し6日に南発券無効宣言しマラヤにおける南発券一挙に無価値となった英領マラヤ横浜正金銀行店舗9月15日閉店したマラヤには9トン海峡ドル紙幣シンガポール持ち込まれていた。ビルマでは地域時期により南発券扱いまちまちであった流通禁止から英軍法貨ルピー発券等価交換にわたる差異生まれたフィリピンでは1945年1月6日正金マニラ支店閉鎖し正金行員・南発行員は南方総軍随伴してルソン島事務所開いていた。米軍フィリピン全土占領すると、南発券無効宣言した日本では9月30日GHQ覚書同日付で南発の閉鎖命じた1946年3月8日、南発は閉鎖機関指定された。

※この「南発の戦後処理」の解説は、「南方開発金庫」の解説の一部です。
「南発の戦後処理」を含む「南方開発金庫」の記事については、「南方開発金庫」の概要を参照ください。

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