千葉営業所の設置と千葉市街自動車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 09:56 UTC 版)
「京成バス千葉営業所」の記事における「千葉営業所の設置と千葉市街自動車」の解説
千葉営業所の歴史は、京成電気軌道の子会社で、1930年(昭和5年)5月10日に設立された京成乗合自動車に始まる。京成は、バス事業の開始にあたり千葉バス(千葉 - 船橋)・両総自動車(千葉 - 東金。成東営業所の前身)・東葛乗合(船橋 - 国府台。船橋営業所の前身)の3社を買収したが、当時はバス事業の将来性が不透明であったため直営での開業に踏み切れず、当面の経営を同社に当たらせることとした。その後、都内で開始された直営バスの業績が好調であったこと、およびバス業界の活性化が進んだことを受け、千葉県内でもバスの直営が開始されることとなり、1934年(昭和9年)3月1日、京成電気軌道が京成乗合自動車を吸収し、そのまま千葉営業所としたものである。当時の営業所の位置は、初代の京成千葉駅前、現在の中央公園のところであり、船橋・国府台・東金に出張所が置かれていた。 詳細は「京成バス#京成バスの生い立ち」および「ちばフラワーバス#両総自動車から京成電気軌道へ」を参照 「京成バス市川営業所#沿革」および「京成バス習志野出張所#起源」も参照 営業所そのものの生い立ちは以上の通りであるが、路線を含めた視点で見た場合には、もう一つの大きな流れがある。それは、1925年(大正14年)7月10日に設立された千葉市街自動車に始まる流れである。同社は戦前、千葉市内のバス路線を中心的に運行していた会社であり、初期の路線は、千葉駅(当時の所在地は要町。現在の市民会館付近)から本町通りを経由して大学病院および寒川方面に至るものであった。その後、新町・新宿方面への拡張および循環線の運行を開始し、さらに穴川・農事試験場(貝塚)・五田保・千葉寺・出洲海岸など周辺部に向かう路線を整備していった。右図は1936年頃の同社路線である。 その後、千葉市街自動車は1938年(昭和13年)までの間に現在の四街道市に本拠を置く四街道乗合自動車を合併した。四街道乗合は1932年(昭和7年)の設立で(当初の社名は千代田乗合自動車)、四街道駅を起点に鎌池・吉岡・小深の3地点に向かう路線を運行していた。以上を継承するとともに、同じ頃、千葉駅 - 農事試験場の路線を高品・原町・鎌池方面へ延長して、千葉 - 四街道間の運行も始めている。 これら千葉市街自動車の路線は、戦時における交通統制により、京成が主体となって千葉市を中心とする地域のバス事業が統合されることとなったため、1944年(昭和19年)8月25日をもって千葉営業所に吸収された。こうして、現在の千葉営業所の基礎が築かれ、終戦を迎えることとなる。
※この「千葉営業所の設置と千葉市街自動車」の解説は、「京成バス千葉営業所」の解説の一部です。
「千葉営業所の設置と千葉市街自動車」を含む「京成バス千葉営業所」の記事については、「京成バス千葉営業所」の概要を参照ください。
- 千葉営業所の設置と千葉市街自動車のページへのリンク