京成バスの生い立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 16:02 UTC 版)
京成バスの歴史は、1930年(昭和5年)5月10日に京成電気軌道(京成電鉄の当時の社名。以下「京成」とする。)が子会社として京成乗合自動車を設立したことに始まる。京成は、これに先立って自社の鉄道周辺に路線を有する東葛乗合自動車(市川国府台 - 船橋間)、千葉バス(船橋 - 千葉間)、両総自動車(千葉 - 東金間)の3社を買収していたが、経営上の判断からこれらの路線を直営とはせず、新たに京成乗合を設立して運営を同社にあたらせる事としたのである。 京成は次いで1931年(昭和6年)12月に浅草を起点に玉ノ井・四ツ木・立石周辺に路線を有し、電車線に一部並行していた隅田乗合自動車を買収した。同社は自動車商の梁瀬(現・ヤナセ)による開業で浅草へ安価且つ乗り換えなしで出られる交通手段として京成電車の手強い競争相手となっていた。このため、買収には相当の努力を注いだと社史に記されている。京成は、同社を買収後しばらくは監督下に置く形で営業させていたが、1932年(昭和7年)7月に至り直営化に踏み切る事となり、自動車課及び寺島営業所を設置してその事業一切を継承した。 東京においては、1933年(昭和8年)に中島理一より四ツ木 - 亀有間を、1934年(昭和9年)に上平井乗合自動車より四ツ木 - 上平井 - 新小岩間を継承し、さらに北は新宿・金町・水元猿町へ、東は奥戸へと路線を延ばした。これにより従来の車庫が手狭となった事から1935年(昭和10年)に奥戸に新車庫を設置、1937年(昭和12年)には寺島営業所をここに移転して奥戸営業所とした。また、同年には奥戸から江戸川を越えて市川八幡へと路線が延び、これによって千葉県内の路線との連絡が図られた。 なおこの間、千葉県内では1934年(昭和9年)3月に京成乗合自動車を統合して千葉営業所とした後、周辺事業者の買収による積極的な路線拡張策がとられていた。1935年(昭和10年)には松戸に拠点を置く東葛乗合(前記の東葛乗合自動車とは異なる)を買収し、松戸駅 - 八柱霊園 - 藤ヶ谷方面の路線を継承(ちばレインボーバス参照)すると共に松戸営業所を設置した。続いて、同年中に同じく松戸の渡辺敬蔵より松戸から市川・金町・流山へ向かう3線を継承し、松戸営業所に組み入れた。また、1936年(昭和11年)には東金 - 八街間などに路線を有する東金自動車を買収、1937年(昭和12年)には習志野 - 実籾間や船橋 - 木下間などを運行する習志野乗合自動車を買収し、習志野営業所を設置した。
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