北陸線列車雪崩直撃事故
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北陸線列車雪崩直撃事故(ほくりくせんれっしゃなだれちょくげきじこ)とは、1922年(大正11年)2月3日に鉄道省北陸本線親不知駅 - 青海駅間[注釈 2]の勝山トンネル西口で、雪崩の直撃によって発生した列車脱線事故である。この事故で列車の乗員乗客200名のうち、一般乗客1名、作業を終えた帰路の除雪作業員88名、鉄道職員1名のあわせて90名が死亡した[4]。発生した地区名から勝山大雪崩(かつやまおおなだれ)と呼ばれることもある[5]。
注釈
- ^ 2月5日の大阪朝日新聞は、午後8時7分頃の発生としている[1]。
- ^ 該当区間は2015年3月14日以降はえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインに所属。
- ^ 1884年(明治17年)1月、糸魚川生まれ。早稲田大学政経学部を卒業した後、糸魚川に戻って政治の道を歩んだ。後に新潟県議会議員となり、1942年(昭和17年)の翼賛選挙では、東方会から立候補して衆議院議員に当選。第2次世界大戦終戦後、町村合併で発足した糸魚川市の初代市長を務めた。1963年(昭和38年)6月7日没。
- ^ 1916年(大正5年)11月に東北本線(当時)の下田駅 - 古間木駅(1961年に三沢駅に改称)間で発生した東北線列車正面衝突事故(通票取扱いの不正による)での死者に対しては、1500円が支払われていた[28]。事故当時の米1俵(60キログラム)の価格は11円20銭であったといい、1918年(大正7年)の米騒動前後のインフレーションを計算に入れても、この額は決して少ない金額ではなかった[21][28]。
出典
- ^ 大阪朝日新聞 1922.2.5(大正11)大雪崩で列車埋没し即死者百余名を出す 北陸線親不知隧道口の惨事 救援も掘出も頗る困難 神戸大学電子図書館システム、2012年7月25日閲覧。
- ^ a b c 『鉄道重大事故の歴史』p.46
- ^ 『事故の鉄道史』68頁
- ^ a b c d e f g h i 『事故の鉄道史』65-66頁
- ^ a b “糸魚川の自然災害、後世に 国土地理院「伝承碑」12基登録”. 新潟日報デジタルプラス (新潟日報社). (2021年12月7日). オリジナルの2022年8月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ 1920~1939年の鉄道事故 抹香鯨の鉄道事故年表、2012年7月22日閲覧。
- ^ a b 親不知・子不知の由来 2012年7月22日閲覧。
- ^ a b 『新潟県の地理散歩』155-156頁。
- ^ 天下の険 親不知・子不知/親不知ジオサイト 糸魚川市ウェブサイト、2012年7月22日閲覧。
- ^ 北陸線富山以北を国鉄色475系で走る。その2 2012年7月22日閲覧。
- ^ 網谷、165-166頁。
- ^ a b 新潟県青海町 1921年から1930年 日本の雪崩災害データベース、2012年7月21日閲覧。なお、同サイトでは昼間の雪崩は同日14時ごろとしている。
- ^ a b c d e f g h i j k l 網谷、166-168頁。
- ^ a b c d 2012年2月の周年災害/日本の災害・防災年表(「周年災害」リンク集) 防災情報新聞無料版、2012年7月21日閲覧。
- ^ 雪害 雪崩の恐怖はこれから オンコチ:データベース YOMIURI ONLINE(読売新聞)、2012年7月21日閲覧。
- ^ a b 『事故の鉄道史』83-84頁。
- ^ 『事故の鉄道史』67-68頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『事故の鉄道史』68-69頁。
- ^ a b 『事故の鉄道史』70-71頁。
- ^ a b c d e f g 『事故の鉄道史』64-65頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 東京糸魚川会会誌第28号(平成16年10月) 東京糸魚川会、2012年7月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『事故の鉄道史』72-73頁。
- ^ a b 『事故の鉄道史』81頁。
- ^ a b 網谷、167頁。
- ^ 大阪毎日新聞 1922.2.8(大正11) 北陸線の大雪崩は世界で二番目の惨事 遭難者に対する慰藉料は遺族の生活程度に依る 神戸大学電子図書館システム、2012年7月25日閲覧。
- ^ a b 『事故の鉄道史』80頁。
- ^ a b c 『事故の鉄道史』80-81頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『事故の鉄道史』73-75頁。
- ^ 『事故の鉄道史』65頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『事故の鉄道史』75-78頁。
- ^ a b c d e f g h i j 網谷、168-170頁。
- ^ 『事故の鉄道史』82頁。
- 1 北陸線列車雪崩直撃事故とは
- 2 北陸線列車雪崩直撃事故の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
北陸線列車雪崩直撃事故
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「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「北陸線列車雪崩直撃事故」の解説
1922年(大正11年)2月3日 北陸本線(現・えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン)親不知駅 - 青海駅間にあった勝山トンネル西口で65列車(蒸気機関車2296(2120形)牽引、6両編成)が雪崩の直撃を受け客車2両が脱線大破した。乗員乗客200名のうち、乗客89名、鉄道職員1名、あわせて90名が死亡した。 事故原因は豪雪による積雪が季節外れの大雨によって緩んだために発生した雪崩に巻き込まれたものだった。雪崩による鉄道事故の犠牲者数では、現在に至るまで日本で最悪の数字である。 詳細は「北陸線列車雪崩直撃事故」を参照
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