北尾に対する酷評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:15 UTC 版)
北尾の数年前に全日本プロレスでデビューした輪島(第54代横綱)にも同様の特別待遇が見られた。38歳でのプロレス転向を「無謀」であるとすら言われていたが、輪島本人は横綱のプライドを捨てて努力をしており、大相撲ファンからも同情されて温かい目で見守られた。しかし北尾は20代半ばと若く、下積みの努力をすれば本格的なレスラーとしても通用すると認識されていただけに、相撲廃業時と同様に厳しい目に晒される結果となった。 大相撲廃業前から稽古嫌いで有名だったが、プロレス転向後もアメリカではみっちり鍛えたものの 帰国後は練習を嫌がりたびたびトラブルを起こしたほどだった。 対戦相手に恵まれて勝利を収めるものの、デビュー戦から改善が見られない単調な試合運びはプロレスファンの間で冷評され続け、「(北尾は)しょっぱい」という声が上がり始める。やがて、観客から激しいブーイングや強烈な野次が浴びせられ、対戦相手の二級外人レスラー(偶然にも北尾が対戦した後、アメリカ復帰後有名な選手になったレスラーが多い)に応援コールが沸き起こる始末だった。さらに北尾がその厳しい評価に対して不満を露わにしたり、ブーイングに対して口汚く言い返すなどの不遜な態度でますますファンの反感を買っている。 当時、シングルとして発売された「超闘王のテーマ」のキャンペーンで中日スポーツの取材に応じた北尾は「自分の試合が早く終わるので、客はそれに不満に思ってブーイングが起きる」という持論を展開している。しかし解説者からも「存在自体がヒール」と評され、ファンのみならず対戦レスラーの間でも不満の声が上がり、露骨に北尾を軽蔑した態度を取るなど、リング上でも不穏な空気が流れるようになった。 北尾は受け身の技術に難があったため、特定の技をかけられることを極度に嫌い、これが技を受けない姿勢に拍車をかけた。そしてある試合中、ブレーンバスターをかけられた際に恐怖心から無理な体勢で着地して腰を強打、負傷する。このアクシデントの後、北尾は「今日は腰が痛い」「体調が良くない」など理由をつけては練習をサボるようになり、また地方巡業に帯同しながらも決まっていた試合を当日になって突然欠場を申し入れたりするなど、大相撲時代と同様の「練習嫌いの問題児」の悪名を響かせ始めた。 その後、新日本の現場責任者とマッチメイカーを務めていた長州力と激しく対立すると、北尾のあまりに怠慢な態度に業を煮やした長州が発した「プロレスラーは常に多少なりとも故障を抱えて試合に臨んでいる。フロントがどう言おうと、練習しない奴は試合で使わない」という言葉に対し、北尾は「何か文句があるなら勝負(喧嘩)して、負けたら言うことを聞く」「怖いのか?この朝鮮人野郎!」という度を過ぎた暴言、さらには民族差別発言によって新日本プロレスから契約解除を言い渡された。 北尾が辞める際には当時社長だった坂口征二が同席しての記者会見が開かれ、 デビューは新日本プロレスだが実際には所属選手ではなく専属フリー契約扱い(「アームズ」という芸能事務所に在籍)だった。 そのために北尾は新日本の社員として扱われる他の所属選手と違って、個別にフロントとの交渉を行っていた。 待遇面に関しても新人選手ではなく所属選手と同等、もしくはそれ以上の扱いを受けていた。 など数々の内部事情が明らかにされた。それらの情報を公表した新日本は「トラブルなどによる解雇ではなく、本人の十分な同意を得た円満退社」という旨のコメントを出している。長州は後にインタビュー記事で、「どの団体が獲得しても、北尾は必ず同じトラブルを起こすぞ」という旨の発言をしており、それはさほど時を要さず現実のものとなってしまった。 なお、北尾の退団後に新日本プロレスに大相撲出身の安田忠夫(元小結孝乃富士)が入団した際、北尾を特別扱いしトラブルとなった反省から、安田を特別扱いせず、新弟子扱いで所属選手として一から厳しく鍛えなおす方針に変更している。
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