稽古嫌い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 03:41 UTC 版)
筋金入りの稽古嫌いであり、解説者の北の富士勝昭は、「師匠が行ってきた稽古の3分の1で横綱になれる大器」などと話しており、「いろんな弟子を見たけど、あんな稽古をやらない奴は見たことない」と嘆いたこともある。2016年の文献では「大関なんか、やる気になったら1年ですよ」「あれを大関にできなかったら、八角親方、あんたの責任だよって、僕は言ってるんです」と改めてその才能を評価していた。新三役会見の席では師匠や記者の前で稽古嫌いを自認しており、本人曰く「稽古、大っ嫌いですもん。実りのある稽古ならいいけど、やらされているような稽古はやりたくない。」とのことである。ある時本人は「強くなったら、何かいいことありますかねえ」と言い放ったこともある。真面目に稽古することもたまにあったが、少し激しい稽古をするとすぐ故障するため、北の富士に「長距離トラックの運転手みたいだ。1日走っちゃ休み、1日走っちゃ……」と揶揄された。魁皇は現役時代、隠岐の海の姿勢を見かねて無理にでも巡業の土俵で指名して稽古付けていた。ところが2015年3月場所に隠岐の海が新関脇となった際に八角は「よく稽古が足りないと言われるが、努力したからこそ、今の番付があると思う。私に比べてしていないというだけで、言い過ぎた部分もある。稽古は休まないですし。私にとっては不十分だが…」と、物足りなさを指摘しつつも、ほめていた。2016年3月場所前の座談会では振分が「出稽古で見ているんですけど、なんか普通すぎるんですよ。普通というのは飄々としているというか、マイペースなんですよね。誰かが出稽古に来ても稽古を休むことがある」と話しており、同時に「若い衆にはよく胸を出すんだけど、だから自分にガツガツしたところがない」と証言している。正代が大関昇進を果たした頃には「正代ができるなら俺も」と刺激を受けて意欲を燃やして稽古に励むようになったといい、北の富士は「私はこの言葉を10年前に聞きたかった。いや、5年前でも間に合ったかもしれない」と語っていた。2021年11月場所中、師匠の八角は「よく稽古というか四股を踏んでいる。努力しているよ。北の若よりやっているんじゃないか。稽古場には必ず下りてくる。番数はそれほどでもないけど」と日頃の様子を明かしており、稽古嫌いの印象は後退している。
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