北尾の横綱昇進討議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:15 UTC 版)
5月場所は千秋楽結びの一番で千代の富士との相星決戦に敗れ、12勝3敗の優勝次点で終えた。次の7月場所は「横綱挑戦」の場所となり、場所前の稽古では高砂部屋や九重部屋への出稽古を繰り返した。7月場所は11日目に保志に敗れた1敗のみで、千秋楽に全勝の千代の富士との取組に臨んだ。本割では北尾が左からの上手投げで制し優勝決定戦に持ち込んだが、決定戦では左上手を切られた北尾がそのまま寄り切られ、初優勝をまたしても逃した。 千秋楽翌日の横綱審議委員会では、協会が2場所続けて千秋楽まで優勝争いに絡んだ北尾の横綱推薦を諮問した。高橋義孝委員長は「(北尾は)稀に見る逸材で将来性の多さが買える」と高評価を与えた。北尾のウィークポイントである優勝経験の無さについても、「心・技・体の心と技に若さからか劣る面もあるが、素質は十分。横綱としてやっていけると思う」と述べ、当時の協会理事だった大鵬も「スケールの大きい素晴らしい素質。まだ若いし、大成できるかはこれからの努力次第。稽古で鍛えればダイヤモンドになれる」と期待を寄せた。しかし委員の一人、稲葉修が「(幕内)優勝経験が一度も無い力士が(横綱に)なるのはおかしい」「身体は文句無しだが精神面に甘さがある」「北尾は『心・技・体』のうち『心』がダメだ」と述べ、昇進に最後まで反対した。結局約45分の審議の末、最後は多数決によって賛成6票、反対1票で北尾の横綱推薦が決定した 。当時、22歳11ヶ月での横綱昇進は昭和以降では4位のスピード記録であり、新入幕から12場所での昇進も昭和以降で6位であった。
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