創設~1980年
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「第31戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)」の記事における「創設~1980年」の解説
第31戦闘攻撃飛行隊(以下VFA-31)は1935年7月1日にVF-1BシューティングスターズとしてF4B装備で発足した。その後、1937年に隊名をVF-6に変更し、装備機もF3Fに機種転換している。太平洋戦争開戦時にはF4Fワイルドキャット装備の飛行隊としてエンタープライズ艦上に展開していた。1943年7月のF6Fヘルキャット導入時にVF-3(英語版)と隊名を交換し、トムキャッターズとなった。フェリックスのマーキングはこの時から使用され始めた。この際、元VF-3であるVF-6もフェリックスのマーキングを使用したため、1945年10月にVF-6が解隊されるまでどちらの部隊のマーキングか論争が続いた。1946年、F8Fベアキャット導入時に隊名をVF-3Aに変更し、1948年8月7日に再度隊名を変更しVF-31となった。朝鮮戦争にはF9Fパンサー装備で参加している。その後、1952年にはF2Hバンシー、1957年にはF3Hデーモン、1966年にはF-4ファントムIIと次々に機種転換を行い、ベトナム戦争にも投入されている。また、VF-31は第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争の3つの戦争で敵機撃墜を記録した唯一の海軍飛行隊である。
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創設 - 1980年
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「第41戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)」の記事における「創設 - 1980年」の解説
第41戦闘攻撃飛行隊(以下VFA-41)は、1950年9月1日にF2H装備の第41戦闘飛行隊(VF-41)としてバージニア州オシアナ海軍航空基地(英語版)発足した。VF-41の部隊ナンバーを持つ飛行隊としては4番目になるが、前の飛行隊から隊史、伝統を受け継がない飛行隊としての新編となった。VF-41は空母インディペンデンスに搭載され、地中海および極東に展開した。 1959年にはF3Hに機種転換し、全天候戦闘能力を獲得した。しかし、1962年2月にはF-4Bに機種転換したため、F3Hを運用したのはわずか3年であった。同年10月に発生したキューバ危機に際してはキーウェスト海軍航空基地(英語版)に展開、有事の際には迅速に出撃できる態勢をとっていた。 ベトナム戦争時にはインディペンデンスに搭載されて1965年5月からトンキン湾に展開、11月まで爆撃・偵察隊護衛、対空陣地制圧などの任務に就いた。この7ヶ月間の活動でインディペンデンスとVF-41が所属する第7空母航空団(CVW-7)は海軍部隊栄誉賞を受賞している。 1973年には第四次中東戦争後の平和維持軍の一員として中東に展開した。その後、1976年にF-14Aに機種転換し、空母ニミッツに展開、VF-84とコンビを組むこととなった。 1979年11月4日に発生したイランアメリカ大使館人質事件に際しては、翌年4月に決行された人質救出作戦(イーグルクロー作戦)に使用する航空機の輸送をニミッツが行ったため、VF-41を始めとする第8空母航空団(CVW-8)は海上で144日間過ごした。これは、第二次世界大戦後に部隊が基地へ帰還せずに活動した最長記録である。
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