創業・Apple Iの発売
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 00:36 UTC 版)
「Appleの歴史」の記事における「創業・Apple Iの発売」の解説
1976年4月1日、ジョブズとウォズニアックにロナルド・ウェイン(英語版)を加えた3人は、共同で「Apple Computer Company(アップルコンピュータ・カンパニー)」を創業し、カリフォルニア州のビジネス・パートナーシップとして登録した。アタリで製図工として働いていたウェインは、職場で出会ったジョブズと意気投合し、10パーセントの株式を持つという条件でジョブズに誘われ、Appleの創業に参画した。ジョブズとウォズニアックはそれぞれ45パーセントの株式を所持することとなり、2人の意見が対立した場合には、残りの株式を持つウェインがどちらかの側に付き、膠着状態を打開することが期待されていた。ウェインはApple Iの取扱説明書を作成したほか、リンゴの木に寄り掛かるアイザック・ニュートンを描いたApple初のロゴマークをデザインした。 ジョブズは「Apple Computer」という社名の由来について、当時果実食主義を実践していたことに加え、リンゴ農園から帰ってきたばかりだったこともあってこの名前を思いつき、その響きが「楽しげで、元気がよく、威圧感もない」と考え、その上「電話帳で(自身が退職した)アタリ社より上に来る名前でもあった。」ので採用にしたのだと説明している。一方のウォズニアックは、この社名はジョブズが不意に提案してきたもので真意は不明だとした上で、「彼は音楽好きであったので、アップル・レコード(ビートルズのレコードレーベル)から思いついたのかもしれない」と語っている。 ジョブズはより多くのプリント配線板を売るために個人以外の販路を求め、HCCの会合に顔を出したコンピュータ小売店「バイトショップ(Byte Shop)」の経営者ポール・テレル(英語版)にApple Iのデモンストレーションを見せた。興味を持ったテレルはジョブズに名刺を渡して去ったが、その翌日にジョブズはマウンテンビューのバイトショップ店舗に突然押しかけ、テレルにApple Iを売り込んだ。説得されたテレルはその場でApple Iを50台注文し、納品時に1台につき500ドル(合計では2万5,000ドル)を現金で支払うと約束したが、テレルはジョブズが売ろうとしていたプリント配線板には興味がなく、「組み立て済みの完成品」を納入するよう要求した。 手持ちの資金ではそれだけ多くのコンピュータを組み立てるためのパーツは購入できなかったが、ジョブズは不審に思うパーツ業者にテレルとの取引が存在することを電話で確認させ、30日間の支払猶予つきでパーツを購入することに成功した。その後ロスアルトス(英語版)のジョブズの実家では懸命な組み立て作業が行われた。29日後、ジョブズらは50台のApple Iを完成させてバイトショップに納入し、テレルから受け取った代金を使って期限内にパーツ業者への支払いを完了した。ジョブズらが納品した50台のApple Ⅰは、各種部品がプリント配線板にハンダ付けされたむきだしの基板(マザーボード)の状態であり、筐体やモニタ、キーボードなどを持つコンピュータを「完成品」として想定していたテレルは現物を見て少しうろたえたが、それでも約束の代金2万5,000ドルを支払った。 Apple Iは1976年7月から希望小売価格666.66ドルで発売され、最終的に合計で200台余りが製造された。創業者の1人であったウェインは、自分の会社を4年前に破産させていたこともあり、ジョブズのリスクを厭わない経営方針に大きな不安を抱いた。創業から2週間も経っていない1976年4月12日、ウェインは800ドルを受け取って所有する10パーセントの株式を自主放棄し、Appleを去った。
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