創作の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 17:21 UTC 版)
当時はNWA世界ヘビー級王者だったバディ・ロジャースをWWWF世界ヘビー級王者とする。更に、馬場の挑戦を避けて逃げ回り、試合も実力でかなわないとなると反則防衛する(当時は反則負けではタイトルは移動しなかった)ような人物として描いている。このエピソードはアニメ『タイガーマスク』でもラジャと言う名で語られ共にアンチズムな扱いを受けている。馬場本人はロジャースを、「当時の自分が一番憧れていた最高のレスラー」と絶賛している。作品中でも、ロジャースの試合を見た馬場が「これは強い。どうして俺の挑戦から逃げ回る必要があるのか?」と感嘆するシーンは一応ある。 フリッツ・フォン・エリックとは1961年に「オデッサの惨劇」と呼ばれる凄絶なデスマッチをやったことになっているが、実際の馬場との対戦は、エリックが来日した1966年が最初である。その上、エリックのアイアンクロー対策の為に自分の顔面を地面に埋めてジープに轢かせるという常識離れした特訓が描かれている。 作中で描かれている特訓に関しても、多くは創作であり、後にイベントで、それらの特訓についてファンから質問された馬場が「そんな事をしたら死んじゃうよ」と否定している。 コワルスキーが菜食主義者になったのは、肉を見ると耳そぎ事件のときのちぎれた耳を思い出して食べられなくなったからだとする。実際は耳そぎ事件以前から健康のために菜食をしていた。梶原はこの設定を『プロレススーパースター列伝』などでも使用しているが、引退後にこの件について聞かれたコワルスキーは、事実としては明確に否定しながらも「最高に面白い」と評している。 ブルーノ・サンマルチノのマネージャーとしてアーノルド・スコーランが登場するが、「実際にマネージメントを担当している」という設定で描かれている。これについては創作というよりプロレスのマネージャーの特殊な役割のためである。 元ヘビー級ボクサーのレスラー、プリモ・カルネラとの対戦の際、カルネラのボクサー時代のチャンピオンとなるエピソードが語られているが、前チャンピオンのジャック・シャーキーはカルネラのパンチをくらって失神し、その直後に死亡したとされている。実際のシャーキーは1994年に呼吸停止で亡くなっており、91歳という長命であった。寧ろカルネラの方が先に亡くなっている(カルネラの死は1967年で作中でも触れられている。なお、カルネラをモデルにした1956年の映画「殴られる男」に「カルネラ(をモデルにした架空のボクサー)のパンチで前チャンピオンが死んだ」という描写がある)。 ジョージ・ミノル・岡本という日系人の少年が登場して、アメリカで孤独な生活を送っていた時期の馬場と交流する様子が感動的に描かれているが、架空の人物である。参考までにグレート東郷の本名はジョージ・カズオ・オカムラである。 馬場の回想シーンで馬場の母親が登場するが、顔と体格が馬場そっくりであり、中島らもは著書で「いくらなんでも、あり得ない」と評している。後に再登場した際には普通の老婆に描き直されているが、初登場シーンの絵は修正されないままである。 馬場の生家は三条市中心部で八百屋を営んでいたが、本作では農村部にある茅葺き屋根の農家として描かれている。 出身高校が新潟県立三条高校となっているが実際には三条実業高校機械科。
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