創作の意図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/26 00:18 UTC 版)
ラロは1887年3月に、作家でワグネリアンのアドルフ・ジュリアンに宛てた手紙で本作について述べた際、描写音楽よりも純音楽を信じているとして、以下のように述べた。 どうやら貴兄は、どのような思想が拙作を支配しているかについて、情報を望んでおられるご様子。愛想を尽かされたくはないのですが、小生には、考えておいでのような意味での文学的発想というものはございません。言葉に合わせて作曲すると、与えられた文言に応じて、習慣的に音楽表現の真実味とか呼ばれるものの奴隷になってしまいます。しかし、文学的なテクストなしに作曲するとき、自分の眼前や周囲は、ただ響きや旋律・和声が広がるだけなのです。音楽家にとって、この広漠なる空間は、ありとあらゆる文学作品や詩・劇とは別に、音楽家自身に占有されるものなのです。拙作の交響曲についてはというと、小生はご明察の通り、主たるフレーズを短い序奏の中で呈示しております。これが第1楽章で優位に立つのです。小生の詩的な意図や、劇的・音楽的な意図から(嗤わないで下さいね!)、そのフレーズの介入が必要であるかに思われる時はいつでも、主要なフレーズを思い返すのです。
※この「創作の意図」の解説は、「交響曲 (ラロ)」の解説の一部です。
「創作の意図」を含む「交響曲 (ラロ)」の記事については、「交響曲 (ラロ)」の概要を参照ください。
- 創作の意図のページへのリンク