前輪駆動の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 04:23 UTC 版)
またリアエンジン車には、操縦安定性以外にも多くの克服しがたい弱点があった。 客室とエンジンルームとの隔壁面積が大きく、遮音・遮熱面でも不利であったが、実用上の最大の問題はラゲッジスペースが不足することであった。フロントセクションは前輪の操向(舵取り)のため、ホイールハウスやステアリングリンケージにスペースを取られ、トランクとして利用するには、容積や形状の面でフロントエンジン車のリアトランクには及ばなかった。特に、エンジンルームが荷室容積や床形状に大きく影響を及ぼす商用車ではさらに不利となる。リアエンジンのワゴンやバン、トラックもあるが、絶対的な積載容積や積載性ではやはりフロントエンジン車にかなわず、また遮音・遮熱の問題をさらに大きくした。 リアエンジンの場合、水冷エンジン車はエンジン冷却対策(ラジエーター配置とその冷却空気の流動)に問題を抱えていた。後部ラジエーターとすると走行風を有効活用できず、かといってフロントにラジエーターを置くと、冷却水の配管が長大になり過ぎることや、元々少ないトランク容積をさらに圧迫する難があった。リアエンジン車に多い空冷エンジン車は、冷却面の制約をクリアできたにしても、今度は騒音過大と暖房能力不足(温水ヒーターに比してヒートエクスチェンジャーの性能が遙かに劣る)という別の難があった。 水冷式フロントエンジン車であれば上に挙げられたリアエンジン車特有の問題は生じず、車体後部の設計改変によるバリエーション展開も容易である。多くのリアエンジン車メーカー(それらはたいていの場合、小型車でもFR方式を墨守するメーカーに比べると先進的な傾向があった)が、将来的なフロントエンジンへの移行を考えるようになったのは無理もないことであった。 シボレー・コルベアと相前後して、1959年に発売されたイギリス・BMCのMiniが、小型前輪駆動車の普及の可能性を大きく広げた。前輪駆動車で常にネックとなっていたのは、等速ジョイントの精度と耐久性だったが、Miniで駆動輪用に本格導入された「バーフィールド・ツェッパ・ジョイント」がこれを解決したのである。しかもMiniは直列4気筒エンジンを横置きにするという合理的設計で、ドライブトレーンを極めてコンパクトなものに仕上げた。 それ以前からヨーロッパではシトロエンやアウトウニオンなどが前輪駆動への傾倒を見せていたが、耐久性に優れた等速ジョイントの実現はそのまま前輪駆動方式のさらなる飛躍を意味していた。果たして1960年代末にはヨーロッパの主要な自動車生産国(ドイツ、イギリス、フランス、イタリア)のメーカーで、前輪駆動方式の大衆車開発が急速に盛んとなったのである。 等速ジョイントの性能・品質改善は更に進んだ。バーフィールド社の原案によるディファレンシャル側向け等速ジョイントの「ダブルオフセット・ジョイント (DOJ)」は、バーフィールドと技術提携していた東洋ベアリング(現・NTN)の手で、1965年にスバル・1000用として実用化された。これによって、前輪駆動車に必要とされるデフ側・車輪側双方の等速ジョイントが完全に実用水準に達したのである。 この頃から、それまでリアエンジン車を作っていたメーカーの多くは、リアエンジンモデルの新規開発を控え、既存リアエンジン車の改良で延命を図る程度になった。もはや開発の軸足が前輪駆動車に移っていたのである。1969年にイタリアのフィアットから発売された128は、エンジンと変速機を直列(横置きエンジンなので並列とも言える)に配置した「ジアコーサ式前輪駆動」を採用したが、低コストで前輪駆動を実現できることから以後の多くのメーカーがこのレイアウトに追随し、前輪駆動への流れは決定的となった。
※この「前輪駆動の台頭」の解説は、「リアエンジン」の解説の一部です。
「前輪駆動の台頭」を含む「リアエンジン」の記事については、「リアエンジン」の概要を参照ください。
- 前輪駆動の台頭のページへのリンク