利益第一主義と防災に対する無関心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:42 UTC 版)
「ホテルニュージャパン火災」の記事における「利益第一主義と防災に対する無関心」の解説
ホテルニュージャパンは、度重なる消防当局からの指導にもかかわらず(しかし東京消防庁は「適」の合格点を与えていた)、経費削減を理由にスプリンクラー設備などの消防用設備を一切設置せず(スプリンクラー自体はあるが配管がつながっていなかったものもあった)、消防当局や専門業者による防火査察や設備定期点検も拒否し続けていた。 同ホテルが開業した1960年(昭和35年)当時の消防法では、防火設備に乏しい建物でも営業に問題は無かったが、1972年(昭和47年)5月13日深夜に発生した千日デパート火災を教訓に、特定防火対象物においてはスプリンクラーや防火扉などの設置義務と不燃材による内装施工必須、さらには既存不適格の防火対象物に対する設置基準と技術基準の遡及適用の実施を盛り込んだ改正消防法が1974年(昭和49年)に施行された。 それから5年後の1979年(昭和54年)に当時経営難で存続の危機に瀕していたホテルニュージャパンを買収し、同ホテルのオーナー兼社長へ就任した横井英樹は、ホテル経営については全くの素人であり、改正消防法に基づくスプリンクラーや防火扉の設置や、不燃材による内装施工を消防当局より命ぜられた旨の報告を部下から受けても、経費削減を理由にそれらの安全や災害対策関連の予算執行を認めず、消火器を買い増す旨を指示しただけだった。さらに設備点検費や更新費の滞納により定期点検業者を撤退させた結果、館内の消防用設備の故障が長期間に亘って放置された。 刑事裁判の記録によれば「社長の横井英樹は消防当局より『当時のホテルニュージャパンは建物の老朽化が著しかったため、改正消防法に適合させるにはスプリンクラーや防火扉などの新設のみならず、館内の電気設備や給排水設備の全面改修も必要である』旨を知らされていた。しかし横井は、関係当局や部下からの進言、勧告、上申に対して聞く耳を一切持たずに無視し、専ら儲けと経費削減のみで安全対策への投資はしない方針を貫いていた」と書かれている。その一方で横井は、安全対策関連の経費削減とは裏腹に、宿泊客の増加に繋がりそうな事案には惜しみない投資をしていた。例えばロビーなど客の目にとまる部分を豪華な内装へ変更したり、高価な美術品を展示したりすることなどである。 こうした横井の態度に業を煮やした東京消防庁は、1981年8月に「消防法に基づく館内防災設備の改善命令」を麹町消防署署長から発令し、横井に対して「消防署からの再三にわたる命令を無視して、ホテルの館内防災設備の不備と欠陥状態を今後も改善しない場合には、直ちに消防法に基づく営業停止処分を科す」旨の最後通牒を突きつけたことで、横井はようやく危機感を抱いて「スプリンクラーを設置するなど消防設備の改善を行う」と表明し、重い腰を上げた。しかしスプリンクラー設置に関しては、一部フロアにスプリンクラーヘッドを取り付けただけの見せかけで、水が全く出ない状態だった。スプリンクラー設置をはじめとする館内の防火環境改善工事は、火災発生2日前(2月6日)に着工される旨が決まり、その矢先に今回の火災事故が起きた。
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