利益相反問題と期待ギャップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 14:21 UTC 版)
「監査の歴史」の記事における「利益相反問題と期待ギャップ」の解説
会計事務所による監査業務は拡大を続け、ビッグ8と呼ばれる大手8社による激しい競争が行われた。いずれも監査業務に加えてコンサルティング業務を増やし、監査対象の企業からもコンサルティング業務を受注するようになる。1970年代には会計不正が多発し、監査法人の独立性や利益相反について疑問が生じるようになっていった。中でもアーサー・アンダーセンは、アメリカでコンサルティング業務を始めた最初期の会計事務所でもあり、監査業務とコンサルティング業務の利益相反問題を抱えることとなった。 アメリカでは、ウルトラマーレス事件(英語版)(1931年)の判例と連邦民事訴訟規則(英語版)によって、監査法人は監査した企業の不正を見抜けなかった場合も責任を問われることとなった。全米の16の会計事務所が訴えられた件数は1960年代で83件、1970年代で287件、1980年代で426件と増加し、会計事務所側が負け越す結果となった。訴訟の頻発によって、監査人が自身の役割だと考えている機能と、社会が監査人に求める機能との間にギャップがあるのではないかという議論がAICPAで起こった。これが期待ギャップ(expectation gap)であり、ギャップの解明と縮小を目的として、1974年に元SEC委員長のM・F・コーエン(英語版)を中心とする委員会(コーエン委員会)が活動した。議会の圧力で政府が会計士業界に介入する可能性も示唆され、1977年にはAICPAは改革を決定する。改革の内容には、AICPAが会計事務所を統制下に置くこと、ピア・レビュー(同僚査閲)の制度化、公共監視機構(POB)の設置、AICPA内部の監査などがあった。 会計事務所が監査とコンサルティングを両立させることは続き、コンサルティング部門の利益が監査部門の利益を超えるようになった。不正会計や監査人側の訴訟は、1980年代になっても減らなかった。AICPAは、不正な財務報告に関する全国委員会(英語版)(通称トレッドウェイ委員会)を設立し、不正防止と摘発を進めるための勧告を集めた。AICPAの内部も改革が行われ、1988年に期待ギャップ基準書を公表して不正や監査基準を強化した。しかし1980年代後半から1990年代にかけては貯蓄貸付組合(S&L)の倒産と訴訟が相次ぎ、連邦預金保険公社改善法(1991年)(英語版)で金融機関の財務報告の強化を目的とした。1980年代以降のアメリカの会計不正の主な原因の一つに、不正を防ぐべき会計事務所の監査業務とコンサルティング業務が利益相反を起こしていた点がある。
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