初期の住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 21:16 UTC 版)
「バック・トゥ・バック住宅」の記事における「初期の住宅」の解説
バック・トゥ・バック住宅としては、1706年に農村で建てられた記録があるが、一般的なものは、1770年代にバーミンガム、ノッティンガム、1780年代にマンチェスター、リヴァプールに建築されている。 都市リーズの人口は1800年には約3万人であったが、その後2倍、3倍になり、住居不足の問題を引き起こしていた。リーズで最初のバック・トゥ・バック住宅は、1787年にブリゲート(英語版)のユニオン・コート (Union Court) に建てられた。その構造上の設定が、道路ないし排水路を必要としないことから費用節減をはかるために好都合であり、そこに1エーカーあたり60-75戸の建物に人口密度最大300人を収容した。1842年には34戸の住宅に大体340人、最悪の場合700人余りが居住していたとされる。住宅をどのように建築すべきかについて広く一般に認められた青写真などはなく、最低(たいていは最初)のものは、各階に1室で、防湿性(英語版)はなかった。公衆衛生は、寝室の下にあり何とか利用できる場所に設置されたペール・トイレ(英語版)(土かけ便所、earth toilet)、それに間欠的な立水栓 (stand pipe) の公共用水からなる。 当初、住宅は共同の中庭の周りに建てられたが、後にそれらは通りに建てられた。この種の住宅は、ヴィクトリア朝イングランドのインナーシティ地域に普及し、とりわけバーミンガム、ブラッドフォード、リーズ、リヴァプール、マンチェスター、サルフォード、それにノッティンガムにおいては全1万1000戸のうち7000-8000戸(7500戸として約68パーセント)がバック・トゥ・バックとして建てられていた。都市当局は、バック・トゥ・バックスが望ましくないことを十分承知していたが、それらの建設を防ぐことができなかったと見られる。1854年に建築・改善委員会 (Building and Improvement Committee) は、ブラッドフォード評議会 (Bradford Council) に対し、新しい居住施設 (1401件) のうち4分の3以上 (1070件) が「好ましくない基準の上に設けられた」と陳述した。1875年職人および労働者住居改善法(英語版)の通過は、評議会(カウンシル、councils)にスラム住居の強制収用の許可を付与したが、その機会が生かされることはほとんどなかった。 18世紀から19世紀にかけて、工場や鉱業場の所有者は、費用を低く抑えながら、最小限の場所に住まわせる労働者の数を極限まで増やすために、数多くのバック・トゥ・バックスを建設した。その設計の支持者は、それらの外壁が1面しかないおかげで、暖かさを保つこと容易であると唱えたが、後庭の欠如はそこに屋外便所の場所がないことを意味し、急速に疾病を広める共同のものしかなかった。バーミンガムの最も古い地域にある初期のバック・トゥ・バック住宅は、市内の大多数の労働者階級の人たちを抱えているにも関わらず、汚物、通気の悪さ、よどんだ水たまりを持ち合わせていた。
※この「初期の住宅」の解説は、「バック・トゥ・バック住宅」の解説の一部です。
「初期の住宅」を含む「バック・トゥ・バック住宅」の記事については、「バック・トゥ・バック住宅」の概要を参照ください。
- 初期の住宅のページへのリンク