初期の住宅ローン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:25 UTC 版)
1900年代初頭のアメリカでは住宅金融の主な担い手は銀行では無くノンバンクが主流であり、その内訳は保険会社、土地・建築関係業者や個人的な貸借など様々であった。また、各州を横断するような金融システムもなかったため住宅需要の高い西南部ほど恒常的に資金不足が発生しており、住宅ローン金利が高く設定されていたことや、短期(通常10年未満)で一括返済する必要があったこと、そして頭金の要求が高かった(通常住宅価格の4~5割)ことから、借り手は連続的に借り替えを行うはめになるか、満期での一括返済に失敗し競売にかけられ家を失う事が多く住宅ローンは決して魅力的なものではなかった。 そのため国民の住宅保有を推進する政府は、1932年に連邦住宅貸付銀行制度 (FHLBS) を創設し、12の連邦住宅貸付銀行 (FHLB) と中央銀行的な役割を持つ連邦住宅貸付銀行理事会 (FHLBB) のもと、他の金融機関に対して長期の償還型のローンを提供するための資金が供給されるようになった。これは、建築貸付組合 (B&L) が次第に台頭してくる一方でなおも資金不足が続いたことへの対処であると同時に1929年の大恐慌の教訓を踏まえたものであった。 こうして建築貸付組合はのちに貯蓄貸付組合に姿を変えながら、連邦住宅貸付銀行の流動性供給を通してアメリカ全土に勢力を拡大していった。
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