初代御殿場馬車鉄道時代とは? わかりやすく解説

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初代御殿場馬車鉄道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/15 13:50 UTC 版)

御殿場馬車鉄道」の記事における「初代御殿場馬車鉄道時代」の解説

1889年明治22年)、東海道線国府津 - 沼津間の開通にあわせ、新橋(後の駿東郡御厨町御殿場市前身)に御殿場駅開設された。駅が開設されたことによって、駅前一帯はこの地方物流拠点、あるいは富士登山玄関口として発展していった。 この御殿場駅前から、その北西位置し富士山登山口一つとなっていた須走村1956年小山町合併)まで馬車鉄道敷設しようという計画持ち上がったのは、日清戦争後好景気沸いていた1896年明治29年)のことであった計画発起人はこの地方有力者らで、1897年明治30年)に内務省より馬車鉄道敷設特許取得し、それを受けて1898年明治31年3月御殿場馬車鉄道株式会社初代)設立された。会社本社御厨町西田中置かれた。馬車鉄道ルートは、御殿場駅前から足柄街道沿って御殿場(旧御殿場)を通り北久原仁杉水土野経由し終点須走へ至る計画となった1898年11月11日馬車鉄道駅前新橋停留場(にいはし - )から御殿場停留場まで開通する同年12月柴怒田停留場(しばんた - )まで延伸、翌1899年明治32年1月には須走停留場まで延伸し、御殿場駅前と須走を結ぶ全長5マイル28チェーン(約8.61キロメートル)の馬車鉄道全通した開業時業績好調であり、全通した1899年乗客約76千人貨物1万トン輸送した乗客富士登山客が利用する7月8月多く、他の月の2倍近く利用客があった。貨物須走村のものだけではなく籠坂峠越えた山梨県側郡内地方送られる貨物輸送した郡内地方への貨物終点須走降ろされた後、荷駄で峠を登っていった1900年明治33年になって郡内地方籠坂峠起点とする都留馬車鉄道という馬車鉄道新設されると、御殿場馬車鉄道籠坂峠越え須走停留場 - 籠坂停留場間の馬車鉄道1901年明治34年12月敷設し都留馬車鉄道連絡した。この新線全長4M33C(約7.1km)で、複線開通した在来区間単線変更し余剰となった単線分のレール転用していた。また、1903年明治36年)には都留馬車鉄道富士馬車鉄道いずれも富士急行大月線前身)が全通し御厨町から山梨県大月に至る全長55kmの馬車鉄道完成したこのころ東京方面から山梨県伸びる路線建設進んでいた。国有鉄道中央線がそれで、1902年明治35年)に大月駅まで到達、翌1903年には甲府駅達したこの中央線の開通は、御殿場馬車鉄道大打撃与えた主要な乗客だった東京から富士登山客は、中央線大月駅まで行き富士馬車鉄道都留馬車鉄道乗り換え富士吉田口からの登山ルート移行し郡内地方から東京方面への貨物大月経由移行してしまったためである。 御殿場馬車鉄道経営が行詰まり1905年明治38年9月、ついに解散した

※この「初代御殿場馬車鉄道時代」の解説は、「御殿場馬車鉄道」の解説の一部です。
「初代御殿場馬車鉄道時代」を含む「御殿場馬車鉄道」の記事については、「御殿場馬車鉄道」の概要を参照ください。

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