初代忠広
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 04:48 UTC 版)
「肥前忠吉 (初代)」も参照 1572年(元亀3年) 生まれ、1632年(寛永9年)没。通称は橋本新左衛門。1596年(慶長元年)に鍋島家の命を受けて京都の埋忠明寿に入門し、1599(慶長3年)に帰国する。1624年(元和10年)に武蔵大掾を受領し、忠広と名を改める。新刀最上作、最上大業物。 制作の時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、改銘後の忠広銘に分かれており、肥前国住武蔵大掾藤原忠広、肥前国藤原忠広などの銘がある。元々は源姓であったが、武蔵大掾を受領して名を忠広と改めたのと同時に藤原姓へ替えている。 なお忠広改名後にも鍋島家より注文を受けて納めたものには受領名を記すに及ばないとして武蔵大掾を省いた刀も存在する。武蔵大掾を省いた銘切りは「献上銘」と呼ばれている。
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