初代彦太郎隠居
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「大村彦太郎 (初代)」の記事における「初代彦太郎隠居」の解説
貞享元年(1684年)初代彦太郎は隠居し、嫡男彦太郎安全が家督を継いだ。安全の母は河崎家の鍋と伝えられ(他を母とする説もある)、江戸出店前年の寛文元年(1661年)1月15日に生まれ、貞享3年まで京都の店で仕事をしていた。このため初代彦太郎は隠居をしたと言っても、安全の江戸到着まで日本橋の店を経営していた。2代目彦太郎安全の事実上の初年度である貞享4年(1687年)には、白木屋は手元予備金だけで2万9千5百両の大店となっていた。元禄2年1月20日(1689年2月9日)、初代彦太郎は死去した。その後も白木屋は発展し、元禄10年(1697年)には日本橋本町通りの大呉服店17軒の一つに挙げられ、後に江戸の代表的な呉服問屋として江戸三大呉服店(三井越後屋、下村大丸)の一つとなり、戦後東急百貨店日本橋店となるまで続いた。
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