内田啓一の反「異形の王権」論とは? わかりやすく解説

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内田啓一の反「異形の王権」論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:58 UTC 版)

後醍醐天皇」の記事における「内田啓一の反「異形の王権」論」の解説

後醍醐天皇宗教的人格的な異常者見なす網野善彦の「異形の王権」論に対しては、仏教美術研究者内田啓一から疑問提出された。内田は、『文観弘真美術』(2006年法藏館)と『後醍醐天皇密教』(2010年法藏館)を発表し網野説は根拠欠き疑わしいことを指摘した内田はまず、後醍醐仏教政策面での最大腹心である文観弘真美術経歴調べた文観は、網野によって、性的儀礼信奉する武闘派怪僧定義され人物である。しかし、内田によればこのような人物像敵対派閥による中傷文書と、『太平記』および後世文書でしか確認できない同時代の史料美術作品当たれば文観高徳僧侶であり、さらに学僧としても画僧としても中世最大級業績をあげた人物であるという。また、文観真言律宗系譜の上では、後醍醐祖父亀山帰依した叡尊孫弟子に当たる。そして、真言宗系譜の上では、後醍醐の父が帰依した道順高弟であるから文観後醍醐結びつき突飛なものではなく、自然な流れであると考えられる網野らが幕府呪詛の像とした般若寺本尊文殊像も、内田によれば叡尊から続く真言律宗伝統様式作られており、銘文定型句であり、そこに大げさな意味は見いだせない。また、『太平記』網野は、後醍醐正妃である中宮西園寺禧子御産祈祷偽装して、幕府呪詛祈祷行ったとする。しかし、安産祈祷用いられた「聖天供」という儀式仏教的にいえばあくまで息災法除災快癒を祈る祈祷)の儀式であり、幕府調伏祈祷だとか性的儀礼だとかの、いかがわしい意味はとても考えにくいという。 内田は、後醍醐文観異形人物であるという説を否定するとともに後醍醐親子関係にも焦点当てた佐藤網野の説としては、後醍醐朝廷異端児であり、まともな父の後宇多上皇とは敵対したとされていた。しかし、実際に後醍醐宗教活動見てみると、灌頂密教における授位儀式)で、父の後宇多もかつて身につけたことがある犍陀穀糸袈裟」(国宝)を使用するなど、父の足跡辿っていることが多い。つまり、後宇多敬愛し、その宗教政策受け継いでいることを指摘したまた、異端かどうかについても、父の後宇多は、高野山奥の院こもったり、密教僧として弟子取ったりなど大きな活動をしているが、後醍醐そこまではしておらず、むしろ密教修行者としては父より穏健派であるという。

※この「内田啓一の反「異形の王権」論」の解説は、「後醍醐天皇」の解説の一部です。
「内田啓一の反「異形の王権」論」を含む「後醍醐天皇」の記事については、「後醍醐天皇」の概要を参照ください。

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