全国初の既成住宅地での建築協定の制定
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「桜ヶ丘 (多摩市)」の記事における「全国初の既成住宅地での建築協定の制定」の解説
既成住宅地で建築協定が制定されたのは、桜ヶ丘住宅地の桜ヶ丘2丁目が全国で初めてである。建築協定そのものは住宅地開発と同時に制定されることは多々あったが、住環境を守るために土地の利用に制限が伴うものであるので、既成の住宅地での制定は同意形成の問題でそれまで例は無かった。 きっかけは、1970年代ごろから桜ヶ丘住宅地内で1区画を3分割も4分割もするミニ開発が頻発するようになってからだった。桜ヶ丘住宅地では1区画100坪前後のゆったりとした良好な住環境が形成されていたことから、日照や通風もまともに確保できないような敷地面積30坪以下の戸建住宅が密に立ち並ぶ区画が増えていくことに、住民は住環境が破壊されるという危機感をつのらせていた。住民らは、敷地面積は良好な日照や通風を確保できる50坪以上とするよう業者に働きかけるなどしていたが、それに従わない業者もあり、そうしているなか桜ケ丘2丁目では建築協定を制定するという動きにつながっていった。 1979年に自治会が建築協定の案を示し、住民に対して建築協定制定の賛否を問うアンケートが実施された。結果は圧倒的賛成多数で、これにより建築協定の制定への取り組みが本格化することになる。1980年の自治会の総会では、協定制定の準備のため「ミニ開発防止特別委員会」が設立された。そして委員会により何度となく説明会が開かれ、住民アンケートが実施されたりして、専門家の推敲も重ねながら協定の具体的内容が決められていき、1981年には最終案がまとまった。そして住民の418人もの地権者の同意を取り付け同年11月6日に申請、12月25日に桜ヶ丘2丁目を中心とする418区画・協定面積126,503平方メートルで建築協定は発効した。 この「多摩市桜ケ丘二丁目住宅地区建築協定」により、敷地の規模は最低165平方メートル(49.9坪)、建築物の外壁から敷地境界線までの距離は1メートル以上と定められ、密に戸建住宅が立ち並ぶミニ開発の脅威は無くなった。また、この協定は特徴的で、先述の最低敷地面積といった具体的な取り決めが並んでいるなかに「近隣との協調」という一項があり、「土地の所有者は、建築を計画するにあたっては、周辺の生活環境に及ぼす影響に十分配慮し、良好な近隣関係を損なわないよう努めるものとする」とされた。この協定は、既成の住宅地で制定された画期的なものだとされ、1981年12月10日付けの東京新聞、12月13日付けの朝日新聞と読売新聞で取り上げられた。それから数年後、田園調布で締結された建築協定は、この建築協定をもとにして作られた。 その後、地区計画制度が整備されたことから、1991年に多摩市により「多摩市桜ケ丘地区地区計画」が施行された。効力が2丁目とその周辺にとどまっていた建築協定の規制内容を、桜ヶ丘全域で施行したものだった。これにより最低敷地面積や、敷地境界からの外壁の後退が2丁目の協定から引き継がれたのに加え、日陰要因となる共同住宅(集合住宅)の建築問題も生じてきたことから、3戸以上の共同住宅・長屋の建築はできないと定められた。そのころになると2丁目の建築協定の期限も近くなっていたが、地区計画が協定地域全域を含め施行されていることから、協定の参加者らは協定を更新しないことを決め、1996年、2丁目の建築協定は期限満了を迎え失効し、地区計画がそれを引き継いだ形となった。
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