儀式空間の変遷論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 01:16 UTC 版)
川本重雄は「正規寝殿造」そして「左右対称」を否定して太田静六に挑んだ一人であり、1982年と翌年の「寝殿造の典型散とその成立をめぐって(上下)」以来、太田静六はもちろん太田博太郎や飯淵康一まで巻き込んで数年に渡って建築学会で討論を行っている。川本重雄の太田静六的寝殿造の変遷論への異論の根幹は次のようなものである。 従来定説となっている寝殿造の典型像は、平安時代中期以前(おおむね11世紀中頃以前)の文献にみえる寝殿・東対・西対といった言葉に、平安時代後期の文献に残る指図から復原した寝殻・対のイメージを重ね合わせることで出来上がっていた・・・左右非対訴な形式が、平安時代後期になって初めてみられるのではなく、貴族文化がその頂点に達Lたといわれる藤原道長時代の道長自身の本所土御門京極殿や道長の嫡男頼通の本所高陽院でもみられる 太田静六・川本重雄両説のポイントを図示すれば、既に挙げた画像512のようにベクトルがまるで逆になる。そして「左右対称から非対称へという図式は寝殿造の歴史全体を語る指標となりえない」と、文化人類学者・石毛直道の「人間の住居と動物の住居のちがいのひとつは、人間の住居は客を招じいれる設備でもある」という指摘を引用しつつこう書く。 住宅の歴史が主として社会の歴史的変化に対応する接客方法や接客空間の変化によって形づくられていったとしても決しておかしくはない。 そして寝殿造の変化をムード的な「国風化」「日本人気質の表れ」などからではなく、「接客」の変化から考察する。貴族社会での「接客」は公式なものとしては「大饗」「臨時客」などの儀式にあらわれる。そしてそれらを分析しながら「接客」での「もてなす場」「もてなす相手」の変化に、社会構造の変化を読み取ろうとするもので、『建築史学』1992年の「学会展望・日本住宅史」でも「きわめて刺激的な論考」と評される。
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