個人による保存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 08:46 UTC 版)
日本では平安時代に朝廷が正史を編纂しなくなってからは、公的な機能を担った摂関家や領主家などの「家」組織が歴史的史料の保存を担ってきた面が大きいし、また「家」はそうした公的な役割を「家業」として期待されてきた。公家の日記などは、まさにこうした期待の上に執筆された公的記録の性格が強いものだったのである。これはヨーロッパ諸国の公文書館に相当する機能を個々の家が担っていたとも言えよう。しかし、明治維新以降「家」が私的機関と位置付けられ、明治維新や第二次世界大戦の敗戦などの社会変動に伴って旧家の没落が多くなるにつれ、「家」の側もそうした公共性の高い負担を担うことを避ける傾向が強くなった。 こうして歴史上の人物の子孫や、かつての有力者の個人宅などにある古文書、絵画、写真などを、子孫がその価値に気が付かず、あるいは経済変動などにより処分したり、紛失する場合が多くなった。また、世代交代に際して相続税を支払うためや、若い世代が老父母を地方から大都市圏に呼び寄せる際などに家屋敷を処分することを余儀なくされ、史料を処分する場合も少なくなくなっている。徳川慶朝のように曽祖父徳川慶喜が撮影した写真の史料としての価値に気が付くといった場合もあるが、こうしたケースは少ない。地域の博物館や公文書館などに寄贈することが望ましいが、プライバシーに関わることが含まれていたり、史料の受け入れ体制が整っていない場合もあり、難しいことがある。 近現代の日本は、まさに公的機関としての機能を期待された「家」による史料保存の体制が崩壊し、新たな保存体制が期待されつつある過渡期にあるとも言え、その過程で多くの史料が喪失しつつある時代とも言える。 また、地震・洪水などの自然災害によって個人所有の文書が消失していく場合もある。地震などの大規模自然災害が発生した場合、被災者にとってはまず衣食住といった生活面が最優先される。そのため、一般的に財産価値をあまり見出されない古文書に注意を払う余裕がなく、結果として地域の貴重な史料が大量に失われるという事態が発生してしまうことになる。このような事態に対して、阪神淡路大震災の教訓から災害発生時にいちはやく史料を救出・保存しようとする活動を行っている団体(歴史資料ネットワーク)もある。
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