俳優活動など
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30歳頃から3年半にわたって桃井かおりのマネージャーを務める。俳優業では、風と樹と空と(1964年、日活)でデビューした。72年の名作ドラマ『木枯らし紋次郎』では中村敦夫、戸浦六宏と共演し、稲荷山の兄弟役で好演した。『夜明けの刑事』、『悪魔のようなあいつ』にも出演した。『たとえば、愛』(1979年、TBS)での大原麗子扮するDJの上司、ディレクター役などを演じた。映画『鏡の中の野心』(1972年、松竹、原作:戸川昌子)では、ひし美ゆり子と共演し、全裸で海岸を走るなどのシーンも演じた。『代理戦争』(1973年、東映)で出演が決まっていたが降板、代わりに抜擢された大部屋俳優・川谷拓三が世に出ることができた。チンピラ、ヒモ、小悪党などの役や低予算B級映画でもまったく忌避せず、むしろ好んで出る傾向にある。作曲担当、音楽監督のみでの参加も少なくない。『鉄砲玉の美学』(1973年、ATG配給)で頭脳警察を連れてきたのは荒木の功績。 1977年、当時30歳のクラブ歌手の女性から「レッスン中に性的ないたずらを受けた」と東京地裁に提訴され、130万円の損害賠償を請求される。荒木は当初、非を認めて謝罪していたが、のちにこの女性と婚約者を警視庁北沢警察署に告訴し、「二人が暴力行為容疑で逮捕される事態」に発展した。 音楽活動では平尾昌晃と交流があり、その縁で平尾が音楽を担当した必殺シリーズに参加することになり、『必殺仕業人』『必殺からくり人』の主題歌を作詞した。また、『仕業人』では自ら挿入歌を歌っている。 自伝的小説『ありんこアフター・ダーク』、『シャワールームの女』(大和書房)や『雨の日にはプッシィ・ブルースを』(河出書房新社)といったハードボイルド・ミステリー小説を書いている。『ありんこアフター・ダーク』で直木賞候補になったと紹介されることもあるが、そのような事実は存在しない。 1980年代後半からは活動を大幅に減らしているが、2001年には他アーティストとの共演によるアルバム『BEST FRIEND & BEST COLLECTION』を制作、2002年には青山劇場でライブを行うなど、近年再び本格的な活動を始めている。2010年には、北沢タウンホールにて、8年ぶりとなるライブ『Ichiro Araki 3 Days』を行い、2011年には同ライブのDVDBOXをUP LINKから発売。 マジック評論家としては、1998年に設立されたマジックサークル「プリンあらモードMagic Club」の会長を務め、またマジックに関する著書も執筆している。 趣味の将棋はアマ四段の腕を持つ。伊藤果七段と組んで自宅に将棋道場(果会)をもっていた。
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